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TOPページ > 海外競馬ニュース > 伝説的障害騎手で小説家のディック・フランシス氏死去(イギリス)[その他]
海外競馬ニュース
2010年02月18日  - No.7 - 1

伝説的障害騎手で小説家のディック・フランシス氏死去(イギリス)[その他]


 ディック・フランシス(Dick Francis)氏の友人と家族は、伝説的ジョッキーでありベストセラー作家であった同氏が89年の生涯を閉じたことを受けて、“非凡な人”の人生を讃えた。

 生涯で350勝を挙げ、1954年のチャンピオンジョッキーとなったフランシス氏は戦後最も成功した障害競走の騎手の1人である。

 同氏は、1956年のグランドナショナルでエリザベス皇太后の所有馬デヴォンロック(Devon Loch)が優勝目前のゴールの数ヤード前で競走を中止した時の騎手としてもよく知られている。その日エイントリー競馬場の第28号障害付近で実況放送していたピーター・オサリバン(Sir Peter O’Sullevan)氏はその日のこと思い出し、その出来事自体はほとんど見えなかったとコメントした。

 同氏は、「遥か彼方でフランシス騎手の帽子が沈下していくのが見えました。競馬ファンの叫び声が何か信じられないことが起きたことを物語っていました。デヴォンロックが四肢を広げて地面に腹ばいになり、競走を中止したのでした。フランシス氏は馬主よりもこの出来事に責任を感じていました。皇太后はこの出来事を非常に理性的に捉え、ただ“それがレースというものです”と述べられました」と語った。

 「フランシス氏は、私の所有馬に騎乗した際にも責任を感じていました。それは1951年8月に、フランシス氏が騎乗して第5号障害で競走中止したときのことです。私の所有馬は地面からわずか3インチ(約7.6 cm)の高さで障害に突っ込んだので、当然フランシス騎手は落馬してしまいました。しかしフランシス氏は自分の落ち度だったと非の打ち所のない作法で認めたからこそ、彼と私の親密な関係には傷が付かなかったのです」。

 「私たちはそれからもずっと友人同士でした。端的に言えば、彼は騎乗と執筆の才能に長けた親切で優しい人でした」。

 1957年に騎手を引退してから、フランシス氏は『女王陛下の騎手(The Sport of Queens)』と題した自伝で小説家として新たな天職を開始し、42冊の小説と大量の短編小説を生み出すまでになった。 同氏は世界で最も素晴らしい推理小説家の1人として知られている。同氏の最新刊は、次男のフェリックス(Felix)氏との共著『拮抗(Even Money)』であり、2009年9月に発行された。

 フランシス氏は呼吸器障害のあった最愛の妻メアリー(Mary)を看病するためにケイマン諸島(訳注: 西インド諸島を構成する諸島の1つ。イギリスの海外領土)に移住した。

 53年間結婚生活を送ってきたメアリーは2000年に亡くなっており、フランシス氏は老衰のため5人の孫、1人のひ孫および2人の息子フェリックスとメリック(Merrick)を残して自宅で息を引き取った。彼らはフランシス氏の死に“打ちひしがれている”と述べた。

 フェリックス氏は、「私と兄は父を失ってもちろん打ちひしがれていますが、このような非凡な人の息子であることを誇りに思います。私たちは、彼が長い人生においてもたらした非常に多くのことを共有しました。新作の小説を通して彼の並外れた遺産を引き継いでいくことができるのは私にとって名誉です」と語った。

 フランシス氏は騎手となる前に、1941年に英国空軍に入りエジプトの砂漠に駐屯した後、1943年にスピットファイア、ウェリントンそしてランカスターを操縦するパイロットに任命された。

 同氏は1984年に大英勲章第4位、2000年に大英勲章第3位を受勲した。

 グランドケイマンの自宅で密葬が営まれ、その後ロンドンで追悼式が営まれるだろう。

By Racing Post staff

[Racing Post 2010年2月14日「Legendary jockey and author Dick Francis dies」]


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