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海外競馬情報
No.8 - 3
英国王室にまつわる世界のレース(国際)【その他】
2017年08月20日

1. カナダ − クイーンズプレートS(ウッドバイン競馬場)

 1939年、英国のジョージ6世は王妃(故王太后)を伴いトロントのウッドバイン競馬場を訪れ、在位中の国王として初めてキングスプレート(エリザベス2世即位後は現在のクイーンズプレート)を観戦した。故王太后はこれを最初として全部で6回、三冠競走の1戦目であるこのレースを観戦することになる。一方、エリザベス女王はこれまで4回クイーンズプレートの優勝馬関係者に金のトロフィーを授与している。直近では、2010年にビッグレッドマイク(Big Red Mike)の優勝に立ち会った。このとき、馬主のドム・ロメオ(Dom Romeo)氏は 儀礼は二の次で女王にフレンドリーに手を差し出したが、それとは対照的にエウリコ・ローザ・ダ・シルヴァ(Eurico Rosa Da Silva)騎手が行った大げさなお辞儀と握手も新聞の一面を飾った。

2. 北アイルランド − ハーマジェスティーズプレート(ダウンロイヤル競馬場)

 現在ダウンロイヤル競馬場(ダウン州リスバーン近く)で施行されるハーマジェスティーズプレートのために、ジョージ2世が100ポンドの賞金を授与してから267年が経つ。同レースに関してはこれまで多くの変更があった。直近の変更は1996年に行われ、現在ハーマジェスティーズプレートはこの競馬場で最も人気がある7月下旬の薄暮開催のクライマックスに施行されている。リステッド競走として施行されるのは今年で2回目であり、2015年の優勝馬はその後ゴールドカップ(G1 ロイヤルアスコット開催)の覇者となるオーダーオブセントジョージ(Order Of St George)だった。

3. 米国 − クイーンエリザベス2世チャレンジカップ(キーンランド競馬場)

 キーンランドの関係者たちは1984年のエリザベス女王のケンタッキー州訪問の際、模擬のセリを開催するという珍しい方法で女王を歓迎した。第1回クイーンエリザベス2世チャレンジカップはダートで施行され、シントラ(Sintra)が優勝した。その翌年に芝レースとなり、当初はリステッド競走だったが、1991年にはG1競走に昇格した。欧州馬では、1997年にライアファン(Ryafan ジョン・ゴスデン厩舎)、2010年にトゥギャザー(Together エイダン・オブライエン厩舎 コルム・オドノヒュー騎手)が優勝した。

4. 日本 − エリザベス女王杯(京都競馬場)

 エリザベス女王が日本を公式訪問した翌年の1976年に創設されたエリザベス女王杯は、1999年に初めて外国調教馬に門戸が開かれた。2010年にターフの女王スノーフェアリー(Snow Fairy エド・ダンロップ厩舎)がライアン・ムーア騎手を背に外国調教馬として初めて優勝したことで、このレースの国際的評価が定まった。2011年に凱旋門賞(G1)とチャンピオンS(G1)で3着となったスノーフェアリーは、ムーア騎手とともに再びエリザベス女王杯に挑み、アヴェンチュラを首差に退け連覇を達成した。

5. 南アフリカ − クイーンズプレート(ケープタウン競馬場)

 カナダでクイーンズプレートが誕生した翌年の1861年に、ヴィクトリア女王の承認を得て、ケニルワース競馬場でもクイーンズプレートがケープタウンの社交界のイベントの1つとして施行されるようになった。クイーンズプレートは、馬齢重量レースとして、多くの複数勝馬を出してきた。2017年の優勝馬リーガルイーグル(Legal Eagle)は1948年以来10頭目の2勝馬となった。しかし、バーナード・フェイドハーブ(Bernard Fayd'Herbe)騎手が騎乗して2006年から4連勝したポケットパワー(Pocket Power マイク・バス厩舎)の偉業に匹敵する成績を残した馬はいない。

6. インド − ロイヤルウエストインディアターフクラブ

 ウエストインディアターフクラブ(West India Turf Club)は1935年、ジョージ5世から"ロイヤル"の冠名を使用する許可を得た。1961年2月21日、エリザベス女王とフィリップ殿下は当時"ボンベイ競馬場(現在はムンバイ競馬場)"として知られていたマハラクシュミ競馬場を訪れ、訪問を記念して名付けられたレースとインドセントレジャーの優勝馬関係者に賞を授与した。

7. 香港 − クイーンエリザベス2世カップ(シャティン競馬場)

 エリザベス女王は1975年5月に初めて香港を訪問した。この初訪問を記念して、ハッピーバレー競馬場では競走距離1マイル弱の第1回クイーンエリザベス2世カップが施行された。エリザベス女王とフィリップ殿下が香港を再訪問した1986年には、中国と英国の間で香港返還の合意がなされており、クイーンエリザベス2世カップは当時のロイヤル香港ジョッキークラブ(現香港ジョッキークラブ)の新しいシャティン競馬場のコースに移されていた。女王陛下は、オッズ21倍で優勝したフォーエバーゴールド(Forever Gold)の関係者にトロフィーを授与した。同馬を管理したゴードン・スミス(Gordon Smyth)調教師は、1966年に英ダービーを制している。

8. 豪州 − クイーンエリザベスS(ランドウィック競馬場)

 ランドウィック競馬場(シドニー)のクイーンエリザベスSは103年前にすでに創設されていたが、その後多くの変更があり、即位したエリザベス女王が1954年2月6日に訪問したことを記念して現在のレース名が使われるようになった。同競馬場は長らく非公式に"ロイヤルランドウィック競馬場"と名乗ってきたが、1992年にパドック・グランドスタンドのオープンに際して訪問していた女王の正式な承認を得た。クイーンエリザベスSは2014年から"ザ・チャンピオンシップス"の目玉レースとしてこれまで以上に注目されている。2017年には名牝ウィンクス(Winx)が優勝した。

9. フランス − サンドリンガム賞(シャンティイ競馬場)

 1974年のシャンティイ訪問の際、エリザベス女王はマルセル・ブーサック(Marcel Boussac)氏に午餐会に招かれ、その後、英国王室の一団はオープンカーで競馬場の直線コースまで送られた。そして女王は、所有馬ハイクレア(Highclere ディープインパクトの3代母)が仏オークス(G1 ディアヌ賞)でジョー・マーサー(Joe Mercer)騎手を背に、コンテスデュロワール(Comtesse Du Loir)を1?馬身差で下して優勝するのを観戦した。女王はその2年前にロンシャン競馬場を訪れており、その際に"ラクープドサマジェステラレーヌエリザベス(エリザベス女王杯)"が施行されたが、後にそのレースは"サンドリンガム賞(G2)"に改名され、ハイクレアの優勝に敬意を表して1979年以降シャンティイ競馬場で施行されている。

10.エリザベス女王の調教師たち

 1990年代前半には、ハンティンドン卿(Lord Huntingdon)がエリザベス女王の所有馬を熱心に管理し、様々な国で出走させた。女王の自家生産馬エンハーモニック(Enharmonic)はケルン、バーデンバーデン、サンセバスチャンでG3優勝を収め、アンノウンクオンティティ(Unknown Quantity)はホルヘ・ベラスケス(Jorge Velasquez)騎手を背にアーリントンHを制した。近年では、2000年にサー・マイケル・スタウト(Sir Michael Stoute)調教師が管理するインタールード(Interlude)がポモーヌ賞(G2ドーヴィル競馬場)で優勝した。

By Scott Burton

[Racing Post 2017年6月24日「Racing around the world through the decades with royal connections」]



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