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2018年05月20日  - No.5 - 3

ゴスデン調教師、"打倒バリードイル"で今シーズンに臨む(イギリス)【その他】


 英国競馬の発祥地のニューマーケットは、時節を中心に独特のリズムで回っている。冬は凍てつくような風が吹き抜けるが、3月には平地競馬シーズンの到来が告げられる。この街にいる80人の調教師の大半は落ち着かない様子だ。

 ジョン・ゴスデン調教師(67歳)はそうではない。そのトレーニングメソッドの進化と完全に歩調を合わせて、年月を掛けて地位を高め、過去3年間は獲得賞金額で英国のトップトレーナーとなっている。

 ゴスデン氏の不運は、アイルランドのエイダン・オブライエン調教師と同時代人であることだ。同調教師は過去3年間のうち2年、リーディングタイトル争いでゴスデン氏を負かしている。それでも昨シーズンは、気迫を見せるゴスデン氏を追い詰めるため、バリードイル(クールモア牧場の調教拠点)の超プロ軍団には記録破りの努力が必要だった。

 今シーズンはゴスデン氏があっさり逆転する可能性がある。昨年の欧州最優秀3歳牡馬・牝馬であるクラックスマン(Cracksman)とエネイブル(Enable)とともに、シーズンを開始したのだ。2頭とも体が大きく、冬の間に3歳の頃よりも大幅に成長した。オブライエン調教師でさえも、この2頭に物欲しそうな目を向けるに違いない。ニューマーケットのバリーロードのそばにあるクレアヘイヴン調教場(Clarehaven Stables)に2頭はいる。

 しかし今、ゴスデン氏は朝の調教の最後の馬群がウォレンヒルの人工ギャロップ走路を駆け上がるのを見ている。この一団は2歳馬のみである。ゴスデン氏の期待の星たちは落ち着いたペースで走路を駆け上がった。これらは即戦力となる馬ではなく将来を見据えた馬である。同氏の前途には最高の未来が待っている。

 ゴスデン氏はこの点において、おそらくその調教師生活に最大の影響を与えたチャーリー・ウィッティンガム(Charlie Whittingham)調教師(訳注:サンデーサイレンスを手掛けた伝説的なトレーナー)と共通した考えを持っている。「チャーリーは、70代になってからケンタッキーダービー(G1)を2勝しました。"素晴らしい2歳馬を預かっているのに引退するような調教師などいない"と言っていました。だから私も、エネルギーが100%であるかぎり、年齢に悩まされることなどありません」。

 ゴスデン氏には2つの経歴がある。1つ目は、1980年代にカリフォルニアを拠点とした実り多い調教生活である。欧州から輸入された古馬を預かり、多くの勝利を挙げた。若きゴスデン氏と妻のレイチェル・フード(Rachel Hood)氏にとって夢のような10年間であり、その思い出は今でも鮮やかだ。

 ゴスデン氏はこう回想した。「その頃、レイチェルは不動産業を営む弁護士でした。私は厩舎地区の仲間との付合いに夢中でした。多くの調教師がいましたが、皆素晴らしい友人でした。また、サンタアニタ競馬場を拠点とする騎手たちは、信じられないほど豪華な顔ぶれでした。(ビル・)シューメーカー、(ラフィット・)ピンカイ・ジュニア、(クリス・)マッキャロン、(エディ・)デラホウセイ、パット・デイ、サンディ・ホーリー、ゲイリー・スティーヴンスそして全盛期のパット・ヴァレンズエラ(サンデーサイレンスの主戦騎手)。アンヘル・コルデロも冬場はニューヨークから遠征してきて、乗鞍を確保するのに苦労していたのを覚えています」。

 1999年に亡くなったウィッティンガム調教師が、若き英国人の将来を決定づけるのに大きく寄与した。ゴスデン氏は、「大きな影響を受けました。私たちはそれぞれ、毎日5組の馬に調教をつけました。ルールがあるわけではありませんが、まずチャーリーの馬がコースに出て、私の馬がそれに続きました。毎朝それを見て、彼としゃべりながら歩きました」。

 今となっては、ゴスデン氏が成功するのは最初から明白だった。非常に素晴らしい修行を積んだからである。まず、サー・ノエル・マーレス(Sir Noel Murless)調教師のもとで働き、1976年に英国最優秀2歳馬ジェイオートビン(J. O. Tobin)と一緒にカリフォルニア州に送り込まれた。ゴスデン氏はそこに残ったが、ジェイオートビンはジョニー・アダムズ(Johnny Adams)厩舎に入りその環境に順応して1977年スワップスS(G1)で優勝し、シアトルスルー(Seattle Slew)の無敗記録を途絶えさせた。

 マーレス調教師の引退後、ゴスデン氏はバリードイルのヴィンセント・オブライエン厩舎に移り、助手を務めた。V・オブライエン調教師はゴスデン氏の能力に注目し、1978年に売却予定の数頭の馬と一緒にカリフォルニアに送り返した。ゴスデン氏はバリードイルとのつながりのおかげで、後に馬を支援してくれる国際的な一流馬主のロバート・サングスター(Robert Sangster)氏と接触できた。

 しかし、1979年10月に自らの厩舎を立ち上げたときも、他に重要な顧客を獲得していった。そしてウォール街の大物ハーバート・アレン1世(Herbert Allen Sr.)のスムーズジャーニー(Smooth Journey)で初勝利を挙げた。アレン1世は偶然にもその15年前に、ゴスデン氏の父が引退前に手掛けた最後の勝馬トウサー(Towser)を所有していた。

 ハリウッドの大物が競馬場に足繁く通ったころ、調教師生活をスタートさせたゴスデン氏はこう語った。「その頃はまさに黄金時代でした。それに立ち会えたのは幸運でした。ハリウッドの人々は競馬を愛しており、あちこちで信じられないほど沢山のスターを見掛けました。いつもうまく行くわけではなく、週末の開催に向けて準備しているのに水曜日のレースに3万人も来場することもありました」。

 ゴスデン氏がベイツモーテル(Bates Motel)で1983年サンタアニタH(G1)を優勝したとき、8万5,000人の観客がいた。ベイツモーテルはそのわずか2週間前に、サンアントニオHを制してG1に挑むきっかけを作ったばかりだった。

 そこからゴスデン調教師は順調に勝鞍を重ねていった。アレミロード(Allez Milord)、ベルボライド(Bel Bolide)、ハティム(Hatim)、ゾファニー(Zoffany)などが次から次にビッグレースを制した。そのため、1989年にゴスデン氏が下した英国へ帰るという決断は、厩舎地区を驚かせた。

 モハメド殿下からの多頭数の調教依頼は、断るには惜しすぎるオファーだった。しかし、ニューマーケットのスタンリーハウスステーブル(Stanley House Stables)に成功した調教師として迎えられたように見えたのは、幻影だった。

 ゴスデン氏は皮肉な笑いを浮かべこう語った。「英国に戻ったとき、モハメド殿下の欧州の帳簿にはほかにも42人の調教師が書き込まれていたので、少しあっけにとられました。その依頼を受けるにあたり十分な注意を払っていなかったと言われるかもしれません。しかしすぐ後に、殿下はドバイでサラブレッド事業を営むことを望みました」。

 「ゴドルフィンは最初(1993年)、私の厩舎に1頭を預けました。その翌年には15頭に増え、スタンリーハウスステーブルのふもとの厩舎で管理しました。2年以内には、ゴドルフィンは自らの調教場に65頭の優良馬を入れ、私の厩舎にいた数人の熟練スタッフと馬がそちらに移動しました。私は、その調教場の設立を助けて、自分自身は仕事を失ってしまったことに気付いたのです」。

 すべてがそのようにひどい話ではなかった。ゴスデン氏はマクトゥーム一族との密接な関係を保ち続け、2000年にはハムダン殿下のラハン(Lahan)で英1000ギニー(G1)を制した。それから間もなく、サングスター氏がマントンの豪華な調教施設でゴスデン氏を雇った。ゴスデン氏はマントンでまずまずの成績を挙げたが、2006年にクレアヘイヴン調教場を購入するチャンスが訪れた時、それを逃さなかった。

 ゴスデン氏はこう語った。「マントンでは6年間、調教活動を楽しみました。しかし、そこで調教を始めた3年後にロバート(・サングスター)は亡くなりました。その後、状況は変わりました」。

 4人の子供がいるゴスデン一家が土地を所有したことがなかったことも、クレアヘイヴンを購買する魅力の1つだった。ゴスデン氏はこう述べた。「レイチェルはそのとき、"私たちの放浪は終わったのよ"と言いました。クレアヘイヴンの立地はニューマーケットのギャロップ走路を利用するには完璧で、何よりもとても美しい調教場です。大きな変化でしたが、決断は正しかったと思います。レイチェルと私はすぐ近くのケンブリッジ大学で知り合ったので、故郷に帰ってきた気持ちになりました」。

 ニューマーケットからマントンに移り再びニューマーケットに戻ることにより、ゴスデン氏のトレーニングメソッドには再構築が求められた。ニューマーケットのヒースの生えた平らな原野は、マントンの起伏の多い草地性丘陵地帯(ダウンランド)とは対照的だ。しかし、29年前にカリフォルニアから帰ってきたときほど変化は目立たなかっただろう。

 ゴスデン氏はこう語った。「私たちは基本的に施設に応じて調教しています。街の真ん中のダートコースでの調教は、ニューマーケットの5000エーカー(2000ha)の草地での調教とは別物です。米国ではタイムを計って調教して満足感を得たものですが、欧州では通常馬を一緒に走らせます」。

 「もう1つの大きな違いは、その時の天候によって調教方法を変えなければならないことです。カリフォルニアやフロリダで、天候がこれほどコロコロ変わることはないので、そのことを意識しなければなりません。今年、英国の春の訪れは遅く、3月末でもまだ雪が残っていました。そのようなときは、牝馬の調教には注意しなければなりません。素早く調教の一部をこなして馬に負荷を掛けなければならないので、神経を使います。シーズン前の調教では多くのミスが犯されるような気がします。時折、とても用心深くならなければなりません」。

 それにもかかわらず、クレアヘイヴンでは新しいシーズンに対する興奮を感じ取ることができる。

 ゴスデン氏はこう続けた。「1年間で特に魅了される時期です。いつもサッカーのコーチになったような気になります。昨シーズンは延長戦でよくやったかもしれませんが、全く白紙の状態ですべてを再び始めなければなりません」。

 白紙に書かれた有望馬が、将来性のないように見えた馬に取って代わられ、線で消されてしまうのも長くは掛からない。英国の春においてガチョウは白鳥になることがあるが、時間が経てばその反対も然りである。昨年の今頃は、クラックスマンは未勝利レースの控えめな勝馬でしかなく、エネイブルは注目もされていなかった。

 ゴスデン氏は、"スタミナ"を禁句だと考えていない有力馬主・生産者の優れた血統の馬を多数預かっている。今年の英ダービーと英オークス(G1)にも出走馬がいるはずだ。

 昨年、アンソニー・オッペンハイマー(Anthony Oppenheimer)氏の自家生産馬クラックスマンがダービーで追い込んでの3着となり、アブドゥラ殿下の自家生産馬エネイブルがオークスで優勝した。この2頭の昨シーズンの締め括り方は、今シーズンも強豪となることを物語っていた。2頭はキングジョージ6世&クイーンエリザベスS(G1 7月28日)で戦う可能性があり、凱旋門賞(10月7日)では確実に対戦するだろう。昨年のこのレースは、クラックスマンが不在でエネイブルが制した。

 ゴスデン氏は凱旋門賞の話になると、ありきたりな反応をした。やんわりとした非難を込めて一瞬目を上に向け、「まだ7ヵ月あります」と述べた。だが、2頭のスター馬の冬の放牧後の様子に満足しておりこう語った。「エネイブルは素晴らしい冬を過ごしました。彼女は馬房ではおとなしくしていますが、一旦調教に出ると駆けたがります。全く自分が走りたいように走ります。調教とレースを楽しむ誇り高い馬です」。

 絶大な強さが、エネイブルの代名詞である。同氏はこう振り返った。「エネイブルが初めて厩舎にやって来たとき(2016年1月)、最初に私の目を引いたのは、その外見です。愛らしい頭、大きな耳、勇敢なまなざし、そして並外れて大きい胸郭(胸椎・肋骨・胸骨によって籠状になった胸部の骨格)と丈夫な心肺機能をもっています。フランキー(・デットーリ)は彼女に加速するよう促したとき、自分の脚がぐっと下がるのが感じられたと言いました。彼女はエネルギーを一杯に溜めこむのです。エネイブルはこの能力を使って、1 1/2マイル(約2400m)を力強く前進し、強烈な末脚を発揮することができます」。

 どちらかと言えば、大型馬のクラックスマンのほうに大きな伸びしろがある。ゴスデン氏はこう語った。「ダービーに出走したときにはまだ経験が浅く、まるでアマチュアリーグでプレーしなければならないときに、プロの中に放り込まれた若造のようでした」。

 「その後、エイダンは愛ダービーに5頭を出走させ、それらの馬がレースの主導権を握っていました。彼らは中盤で、ゆっくりとしたペースで他馬をとらえていきました。クラックスマンはオブライエン厩舎以外の馬の中ではトップでしたが、優勝馬にはわずかに及ばず首差の2着でした。その後、秋に向けてクラックスマンを放牧に出しましたが、2ヵ月後には見違えるように強い馬になって戻ってきたのです」。

 クラックスマンは、英チャンピオンS(G1 10月21日)で2着馬ポエッツワード(Poet's Word)に7馬身差をつけるほどの圧勝を決めて2017年を締め括った。その競走成績は堅実な内容に欠けた。しかしその派手な勝ちっぷりに、クラックスマンの真の能力の高さを疑う余地はほとんどなかった。

 言うまでもないが、エネイブルとクラックスマンは、シーズンが進む中でバリードイルの馬と対戦しなければならない。オブライエン調教師は昨年の2歳シーズンで大いに活躍した一連の優秀な3歳馬を管理している。夏以降の対戦では、それらの馬はゴスデン厩舎の2頭のスター馬よりも軽い負担重量で出走するだろう。

 ゴスデン氏にはデットーリ騎手という強い味方がいるが、それでもこの対戦は難しくなりそうだ。過去3シーズンにおいてデットーリ騎手の復活は大きな話題となったが、ゴスデン氏はその復活劇の真ん中にいた。鋭く、戦略的で、優れた手腕を持つデットーリ騎手は、オブライエン調教師が手掛ける多くの優良馬を負かすためには最低限の要件である。とは言うものの、ゴスデン氏はオブライエン調教師との戦いを楽しんでいる。

 ゴスデン氏はこう語った。「私はバリードイルに愛着を持っています。ヴィンセント・オブライエン調教師の助手を務め、多くの勝利を収めました。その事業全体に多大な敬意を抱いています。彼らの馬に挑むのに十分な実力を持つ馬を手掛けることは光栄なことです。なぜなら、バリードイルにはそれほど良い馬がいるからです」。

 「各レースがどのように競われるのか研究しなければなりません。これはチェスの戦術を考えるようなものです。バリードイルの馬はいつも素晴らしい状態に保たれています。したがって、そのような馬と管理馬を対戦させることは、私にとって最大の挑戦です。そのレベルにまで到達できることを望んでいます。もしそのような実力がある馬がいなければ、パドックに入るつもりはありません。彼らを負かすにはそのような覚悟が必要です」。

 身長6フィート5(約196 cm)のジョン・ゴスデン氏の自尊心をくじくような調教師はめったにいない。ちょうど全盛期を迎えている男は、鉄棒のように高くまっすぐ立っている。

By Julian Muscat

[The Blood-Horse 2018年4月14日「Global Gallop Trainer John Gosden has excelled on both sides of the Atlantic」]


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