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2018年10月19日  - No.10 - 3

サラブレッド競馬史における無敗馬10傑(国際)【その他】


1. キンツェム(Kincsem 牝 栗毛 1874年~1887年 54戦54勝)

 言い伝えによると、ひょろっとして不格好な2歳馬だったキンツェムは突如としてハンガリーの牧場から姿を消した。その後、彼女はロマ人の一団と一緒にいるところを発見された。馬主のエルノ・ブラスコヴィッチ(Erno Blaskovich)氏は、なぜ彼らがもっと見栄えの良い馬を盗まなかったのか不思議に思ったが、ロマ人の1人は「他の馬のほうが外見は良いかもしれないが、彼女は多くの馬の中でも最高の馬だ。チャンピオンとなるだろう」と言った。「キンツェム」は「私の宝物」という意味で、彼女にとってまさにぴったりな名前である。キンツェムは4年間の競走生活で5454勝を果たし、国民的アイドルとなる。勝鞍にはハンガリーとオーストリアのクラシック競走や1878年グッドウッドカップでの勝利が含まれる。彼女は繁殖牝馬として血を伝え続け、現代の子孫には2012年英ダービー優勝馬キャメロット(Camelot)がいる。

2. ブラックキャビア(Black Caviar 牝 黒鹿毛 2006年~ 25戦25勝)

 ブラックキャビアが獲得した賞金は1,100万豪ドル(約88,000万円)に上る。2013年の引退後、彼女が生まれた牧場ジルガイファーム(Gilgai Farm)のあるヴィクトリア州ナガンビーの町に、実物大の銅像が建立された。ブラックキャビアはウィンクスが現れる前の豪州競馬界のアイドルだった。メルボルンを拠点とするピーター・ムーディー(Peter Moody)調教師に管理され、2009年~2013年にG115勝を含む25勝を挙げた。2012年には英国のダイアモンドジュビリーSG1ロイヤルアスコット開催)を制している。

3. ペッパーズプライド(Peppers Pride牝 黒鹿毛 2003年~ 19戦19勝)

 1919勝のペッパーズプライドは、"ニューメキシコ州競馬界の女王"として有名だ。生まれ故郷の同州でしか出走せず、鞍上はいつもカルロス・マデイラ(Carlos Madeira)騎手だった。ペッパーズプライドは、関係者が無敗馬の地位を守らせるために奮闘した甲斐もあり、それまでの北米連勝記録を更新した。同馬は今年2月に、2015年米国三冠馬アメリカンファラオの産駒を出産し、その後カリフォルニアクロームと交配した。

4. エクリプス(Eclipse 牡 栃栗毛 1764年~1789年 18戦18勝)

 エクリプスは約17ヵ月にわたる競走生活で通算18勝を挙げたが、キングスプレート競走(当時のトップレベルのレース)11勝のうち7勝を簡単に達成し、もはや出走するレースがなくなり引退して種牡馬入りした。1764年生まれのエクリプスは、エプソム競馬場で総賞金50ポンドのレースを制して初勝利を挙げた。同馬の功績を称えるために、1886年にサンダウン競馬場でエクリプスSG1)が設立された。

5. リボー(Ribot 牡 鹿毛 1952年~1972年 16戦16勝)

 イタリアのガゼッタデロスポルト紙(スポーツ新聞)の読者投票で、16勝馬リボーは『20世紀のイタリアで最も偉大なアスリートランキング』の4位に選ばれた。またタイムフォームレーティングでは142ポンドとされ、史上6位となっている(訳注:1位はフランケルの147ポンド)。リボーは1955年と1956年に凱旋門賞(G1)を連勝したことで最もよく知られている。さらに、キングジョージ6世&クイーンエリザベスSG1)では大差記録を作っている。種牡馬としては、英国・アイルランドのリーディングサイアーに3回輝いており、2頭の凱旋門賞優勝馬モルヴェド(Molvedo)とプリンスロイヤル(Prince Royal)を送り出している。

6. コリン(Colin 牡 黒鹿毛 1905年~1932年 15戦15勝)

 スポーツライターのエイブラム・ヒューイット(Abram Hewitt)氏は、米国の名馬コリンについてこう語っている。「競馬場で周りを圧倒するような優れた馬を目にし、血潮が高まり脈拍が速まった」。コリンは1907年、フューチュリティSやシャンペンSなど 2歳ステークス競走を総なめにし、米国年度代表馬に選出された。3歳シーズンは怪我のために中断されたが、それでもベルモントSで優勝し、再度年度代表馬に選ばれ、通算15勝を果たして引退した。

7. フランケル(Frankel 牡 鹿毛 2008年~ 14戦14勝)

 ジャドモントファームとクールモアはある契約を交わした。その契約では、クールモアの種牡馬と交配させるためにジャドモントファームが10頭の繁殖牝馬を送り、その年生まれたすべての産駒の中から、ジャドモントかクールモアのどちらか一方が最初に一頭を選んで所有することができる。そして、翌年は他方に最初に産駒を選ぶ権利が移るというものである。フランケルが生まれた年に、ジャドモントファームのほうに最初の選択権があったことは同ファームにとってラッキーとしか言いようがない。誰からも愛された故サー・ヘンリ・セシル調教師に管理されたフランケルは、3シーズンにわたりG19連勝した。その中には記憶に残る2011年英2000ギニー(G1)での勝利がある。引退レースの英チャンピオンSG1 アスコット競馬場)の出走前には、ロックスターにしか湧き起らないような拍手喝采を浴びた。ゆっくりとしたスタートを切ったが見事に勝利を収め、通算成績を1414勝とした。

8. パーソナルエンスン(Personal Ensign 牝 鹿毛 1984年~2010年 13戦13勝)

 パーソナルエンスンは通算1313勝を果たした。ただ1986年の2歳シーズンに右後脚の球節に複雑骨折を発症して引退の危機に晒されたことを考えれば、この成績はさらに印象的なものになる。彼女は1年近く戦線離脱を余儀なくされたにもかかわらず、3歳シーズンに3勝を果たす。そして4歳シーズンでは、ブリーダーズカップで歴史に残る忘れがたいパフォーマンスを見せた。BCディスタフ(G1)でケンタッキーダービー優勝牝馬ウィニングカラーズ(Winning Colors)を相手に、終盤近くで後方から追い上げて先頭に立ち、見事な勝利を収めたのだ。

9. アステロイド(Asteroid 牡 鹿毛 1861年~1886年 12戦12勝)

 1864年、南部連合の侵入者がロバート・アレクサンダー(Robert Alexander)氏のウッドバーンスタッドファーム(Woodburn Stud Farm)を急襲し、アステロイド(Asteroid)を盗んだ。同ファームの隣人が犯人と交渉したことで、同馬はやっと馬主のもとに戻ってきた。12連勝を果たした鹿毛のアステロイド(父レキシントン)は、北米リーディングサイアーに16回輝いた。その産駒にはプリークネス(Preakness)がおり、この馬の名前はピムリコ競馬場のクラシック競走名になっている。

10. ゴールドファインダー(Goldfinder 牡 鹿毛 1764年~1789年 11戦11勝)

 ゴールドファインダーには、絶対に負けない血が流れていた。それはダーレーアラビアンにまで遡る牡系の先祖から脈々と受け継がれてきたものである。[訳注:ゴールドファインダーの父スナップ(Snap)、祖父スニップ(Snip)、曾祖父フライングチルダーズ(Flying Childers)はすべて無敗馬。フライングチルダーズの父はサラブレッド三大始祖の1頭で無敗馬のダーレーアラビアン]。エクリプスと同じく1764年に生まれたゴールドファインダーは、ジョン・セントレジャー・ダグラス(John St Leger Douglas)下院議員に所有された。ニューマーケットチャレンジカップ&ホイップを2勝している。この競走は"ニューマーケットチャレンジホイップ"として現在でもシャドウェルデーに開催されている。

By Jonathan Harding

1豪ドル=約80円)

Racing Post 2018916日「10 Things You Might Not Know About...Unbeaten Horses」]


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