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2015年08月20日  - No.8 - 6

リチャード・ヒューズ騎手の現役最終日(イギリス)【その他】


 有終の美を飾る勝鞍はなかった。しかし、リチャード・ヒューズ(Richard Hughes)騎手(42歳)にとって、素晴らしい現役最終日であった。この日の午後、グッドウッド競馬場は感動に溢れ、リーディングに3回輝いた人気者のヒューズ騎手は、輝かしいキャリアの幕を閉じた。彼自身、“本当に素晴らしい一日だった”と振り返った。

 この日の最高結果は、一鞍目の2着であった。午後5時6分、7ハロン(約1400m)のハンデ戦で4着入線後、ヒューズ騎手はグッドウッド競馬場の下馬所でフォックストロッター(Fox Trotter)から降りた。仲の良い友人であるミック・シャノン(Mick Channon)調教師は、未来の調教師に、「これから、厄介事が始まるぞ!」と叫んだ。

 ヒューズ騎手は、ハンプシャー州のダンベリーステーブル(Danebury Stables)で調教を開始することを、心待ちにしている。それでも、この日は、1994年にアイルランドから英国に移籍し、英国で2,440勝をあげたヒューズ騎手の騎手生活を祝福する絶好の機会であった。彼は、2012年にリーディングジョッキーとなって以来、その座に君臨してきた。

 今、このリーディングジョッキーは騎手の座を降りた。この日、6鞍に騎乗する前に、ヒューズ騎手は長い時間、サイン会に出席した。その後、最初の騎乗の前に、騎手仲間たちは並んで道を作り、ヒューズ騎手を出迎えた。そして、最終騎乗の後には、シャンパンの飛沫でヒューズ騎手をびしょ濡れにした。

 グッドウッド競馬場には、妻のリジー(Lizzie)、子供のハーヴィー(Harvey)、フィービ(Phoebe)、姉のサンドラ(Sandra)、母のアイリーン(Eileen)などが駆けつけていた。最愛の人々に囲まれたヒューズ騎手は、「ほっとしました。そして(シャンパンをかけられて)濡れました」と語った。なお、優秀な騎手であるとともに調教師であり、ヒューズ騎手の指導者であった父のデジー(Dessie)は、昨年11月に他界している。

 ヒューズ騎手は、最後の騎乗レースの後、フォックストロッターに乗って観客席の正面を行進した。そして、グッドウッド競馬場からゴルフクラブを贈呈された後、次のように語った。「勝てませんでしたが、今日起こったひとつひとつの出来事に感慨を覚えました」。

 さらに、次のように続けた。「本当に素晴らしい一日でした。子供たちは、数ヵ月前、トニー・マッコイ(Tony McCoy)騎手が引退した日に、『お父さんもこんな風にするの?』と言うので、『お父さんが引退する日は、こんなことは起きないよ』と答えていました。しかし、ほぼ同じようになりましたね」。

 「予想外の歓声を受けました。素晴らしかったです。感傷的にならず一日を切り抜けたことに満足しています。しばらく前から引退する準備はできていました。このように良い気分で引退することを嬉しく思います。また、とても安堵しています。これで、次の仕事に向けて前進できます」。

 1週間前から、ヒューズ騎手には多くの賛辞が寄せられていたが、その中にはスター騎手からの賛辞もあった。そのうちの2人は、今では“元同僚”となったヒューズ騎手を“フェアな騎手”と表現した。

 フランキー・デットーリ(Frankie Dettori)騎手は、「寂しくなります。検量室から素晴らしい友人がいなくなりました。若手騎手にとって模範的な存在であり、頭脳明晰で偉大な騎手であるだけではなく、フェアな騎手でした。すべてを兼ね備えていました」と語った。

 オリビエ・ペリエ(Olivier Peslier)騎手も、「彼は真っ直ぐ馬を走らせます。フェアな騎手であり、危険な騎乗をしたことがありません。これは、競馬にとって、とても良いことです」と語った。

 サー・マイケル・スタウト(Sir Michael Stoute)調教師は、ヒューズ騎手に、その日の第2レースのダートマス(Dartmouthエリザベス女王所有)への騎乗を依頼していたことを明らかにした[訳注:結局、ペリエ騎手がダートマスに騎乗して優勝し、ヒューズ騎手はブライアン・ミーハン厩舎のセンリマ(Senrima)に騎乗し10着となった]。そして、ヒューズ騎手を競馬向きの頭脳を持つ“極めて”才能あふれる騎手であると称賛した。また、ヒューズ騎手についてコメントするのに最もふさわしい人物であるリチャード・ハノン(Richard Hannon)調教師からも、賛辞が送られた。彼は、その父のリチャード・ハノン・シニア元調教師とともに、ヒューズ騎手のキャリアにおいて重要な人物である。

 ハノン調教師は、「とても嬉しい日です。彼は素晴らしいキャリアを築き、この開催日を限りに引退します。今日は彼にとって大きな節目です。私たちは彼を応援するために来ました」と語った。

 同じく応援に来た、ハノン調教師の妹でヒューズ騎手の妻であるリジーさんは、次のように語った。「感情的になるとは思っていませんでしたが、とても感動しています。一時代が終わりました。彼に出会ったのは19歳の時ですが、私にとって、彼はいつも騎手でした。騎手の妻として、素晴らしい生活を送らせてもらいましたが、今や転換期が始まります。私たちは準備ができています」。

 ヒューズ騎手は最近、自身にとって一番重要なことは、母アイリーンさんがグッドウッド競馬場に駆けつけてくれることだと話していた。そして本当に、彼女はやって来た。ちょうど、アイルランドの無数のポニーレースで、人々を驚嘆させた天才少年リチャードに付き添っていた時のように。それは旅の始まりであり、その旅は35年後の忘れることのできない午後に終わった。後に“ヒュージー”となる少年を指導した父親の不在は、当然のことながら、彼女に悲しみを覚えさせた。

 アイリーンさんは、「もちろん、リチャードを誇りに思います。しかし、私は寂しいのです。それは、彼が引退するからではなく、デジーがこの日を見届けることができなかったからです。感傷に浸っています」と語った。

 彼女の息子ヒューズ騎手は、感情的になりながらも、幸福感に満ちていた。最後の騎乗を満足そうに振り返った。「一刻一刻を楽しみました。最後の1ハロンのところで追い上げることができると思いましたが、そうはいきませんでした。騎手生活で、十分な勝利をあげました。あと1勝できなかったとしても、このような歓声を頂いているのですから、言うことはありません。病院のベッドで引退する騎手も多い中、私は本当に幸せです」。

By Lee Mottershead

[Racing Post 2015年8月2日「Emotions run high as Hughes signs off」]


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