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TOPページ > 海外競馬情報 > 偉大な騎手パット・エデリー氏、63歳で死去(イギリス)【その他】
海外競馬情報
2015年11月20日  - No.11 - 4

偉大な騎手パット・エデリー氏、63歳で死去(イギリス)【その他】


 英リーディングジョッキーに11回輝き、英クラシックで14勝を挙げたパット・エデリー(Pat Eddery)氏は、63歳で亡くなった。

 4,632勝を挙げたエデリー氏は、史上最も勝利を収めた騎手の1人である。

 凱旋門賞(G1)で4勝したが(1980年デトロワ、1985年レインボークエスト、1986年ダンシングブレーヴ、1987年トランポリーノ)、中でも1986年のダンシングブレーヴ(Dancing Brave)による勝利は息をのむものであった。

 エデリー氏の経歴は、ゴールドカップ(G1)2勝、キングジョージ6世&クイーンエリザベスS(G1)2勝をはじめとする世界中のG1勝利で彩られている。(1986年にはジュピターアイランド(Jupiter Island)でジャパンカップを制した。)また、父ジミー(Jimmy)氏が2回目に愛リーディングジョッキーに輝いた年の27年後となる1982年に、同じタイトルを手に入れた。

 エデリー氏はダンシングブレーヴのほかに、20世紀後半を代表する競走馬とコンビを組んだ。それは、ボスラシャム(Bosra Sham)、サドラーズウェルズ(Sadler's Wells)、レインボークエスト(Rainbow Quest)、エルグランセニョール(El Gran Senor)、グランディ(Grundy)、ザフォニック(Zafonic)、ウォーニング(Warning)、そして1985年にBCターフ(G1)を制したペブルス(Pebbles)などである。

 英国においてエデリー氏を勝利数で上回っているのは、サー・ゴードン・リチャーズ(Sir Gordon Richards)氏(1904年- 1986年)だけである。

 エデリー氏は1952年3月18日にアイルランド・キルデア州ニューブリッジで生まれ、1969年にエプソム競馬場でアルヴァロ(Alvaro)に騎乗し初勝利を収めた。

 シーマス・マクグラス(Seamus McGrath)調教師とフレンチー・ニコルソン(Frenchie Nicholson)調教師のもとで見習騎手を務め、1974年に初めてリーディングジョッキーとなった。

 その後3年連続でリーディングの座を守り、1986年に再び首位に立った。1996年に11回目のリーディングタイトルを獲得し、伝説的騎手レスター・ピゴット(Lester Piggott)氏に並んだ。

 2003年の現役引退後、エデリー氏は調教師となり、2005年に初めて管理馬を出走させた。また、同年に大英帝国勲章(OBE)を受勲している。

 騎手であったときのような功績をあげることはできなかったが、2009年に管理馬ハーツオブファイア(Hearts Of Fire)がイタリアのグランクリテリウム(当時G1)を制し、調教師としてG1優勝を果たした。

 11月10日午前、エデリー氏の親友であり元騎手仲間であるロバート・エドモンドソン(Robert Edmondson)氏は、次のように語った。「偉大な騎手であったことは間違いありません。素晴らしい騎手であり、馬を愛していました。彼は気取らず、何よりも勝つことを望んでいました」。


レスター・ピゴット氏、哀悼の意を表する

 この訃報に接したレスター・ピゴット氏は、エデリー氏を“気取らないホースマン”、“親しい友”と言い表した。

 ピゴット氏は次のように語った。「パット・エデリーは、競馬場では気迫に溢れるライバルでしたが、普段は誠実で親しい友人でした。気取らないホースマンであり、気品があり、どう騎乗すれば良いかを常に心得ていました」。

 「彼の騎乗馬が自らそれを物語っています。誰よりも鋭い戦術的思考と決勝線での粘り強さを備えた騎手でした」。

 「検量室では非常に個性的な人物で、誰もがすぐに彼のウィットとユーモアのセンスの虜になりました。本当に寂しくなります」。


史上最高の騎手の1人

 元ライバルで友人でもある5回リーディングタイトルを獲得したウィリー・カーソン(Willie Carson)氏は、次のように語った。「哀しいニュースです。パットのことは昔から知っているので、人生の一部を失った気分です。本当の紳士で、史上最高の騎手の1人です」。

 「天性の騎手であり、いつも適切な騎乗をし、思い通りに馬を走らせました」。

 クライヴ・ブリテン(Clive Brittain)調教師はエデリー氏とコンビを組み、1985年にペブルスでBCターフを制した。

 先駆者的な調教師として有名なブリテン調教師は、次のように語った。「私たちにはいくつかの素晴らしい思い出があります」。

 「彼が騎乗した馬は100%の力を発揮しました。彼が成功するのは当然だと思っていました。どのような状況でも冷静で、何事にも手こずることはありませんでした。彼ほど強靭で戦術的な騎手はいません」。

 「彼に指示する必要などありませんでした。いつも自然体で、レース中に何が起こってもそれに対応しました。本当に寂しくなるでしょう」。


人間としても素晴らしい人

 エデリー氏の元騎手仲間であり、ダービージョッキーであるマイケル・ヒルズ(Michael Hills)氏は、アットザレーシズ(At The Races 競馬チャンネル)に対し、次のように語った。「本当に悲しく思います。我々にとって伝説的人物であり、我々は皆、彼を尊敬していました」。

 「私にとって、いつでも助言を求めることができる偉大な人物でした。人間としても素晴らしい人でした」。

 障害リーディングジョッキーに20回輝いたトニー・マッコイ(Tony McCoy)氏は、次のようにツイートした。「パット・エデリーが亡くなったニュースを聞き、とても悲しんでいます。本物の天才騎手でした」。

 アイルランドの平地リーディングであるパトリック・スマレン(Patrick Smullen)騎手は、次のように付言した。「パット・エデリーの訃報を聞き、悲しんでいます。騎手としても人間としても伝説そのものです」。

 エデリー氏と同様に、何度もリーディングタイトルを獲得しクラシック競走を勝利した元騎手のジョン・ムルタ(John Murtagh)氏は、次のように語った。

 「伝説的騎手パット・エデリーが亡くなったことを聞き、悲しんでいます。検量室では誰もが彼を尊敬していました。本物のプロであり紳士でした」。

 元障害リーディング騎手で現在リーディングトレーナーのジョンジョ・オニール(Jonjo O'Neill)氏も同様に、「パット・エデリーが亡くなったと聞いて、とても悲しんでいます。伝説的な騎手でした」と哀悼の意を表した。

By James Burn

[Racing Post 2015年11月10日「Racing great Pat Eddery dies at the age of 63」「Piggott leads tributes to legendary rider Eddery」] 


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