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TOPページ > 海外競馬情報 > サー・ヘンリー・セシル調教師、70歳で他界(イギリス)【その他】
海外競馬情報
2013年07月20日  - No.7 - 3

サー・ヘンリー・セシル調教師、70歳で他界(イギリス)【その他】


 サー・ヘンリー・セシル(Sir Henry Cecil)調教師がホースマンと競馬界全体から受けていた敬慕の念は、昨日70歳で逝去した際に示された哀悼の意の深さにより、改めて示された。

 セシル氏は同世代の中でも特に優れた調教師で、無敗の怪物馬フランケル(Frankel)を管理したことが広く称賛されているが、昨日の朝、ケンブリッジにある病院で息を引き取った。

 バッキンガム宮殿は、その訃報がエリザベス女王陛下にも知らされたことを伝えた。セシル調教師は競馬界への功績から2011年にナイトの称号を叙されている。

 同調教師に所有馬の大半を預託しフランケルの馬主および生産者であるカリド・アブドゥラ殿下(Khalid Abdullah)は、次のように語り、セシル氏を調教師および人間として称賛した。「ヘンリーの訃報を聞き大変悲しんでいます。彼の人生は並外れたものであり、多くの人々を魅了しました」。

 「とりわけフランケルの管理において発揮されたヘンリーの才能と思い入れは、誰の目にも明らかです。フランケルとヘンリーの名前は永久に結びつけられるでしょう。何にもまして、ヘンリーは私にとってかけがえのない個人的友人でした」。

 セシル厩舎の契約騎手で、フランケルの14戦すべてに騎乗し勝利したトム・クウィリー(Tom Queally)騎手は、次のように語った。「セシル調教師のご遺族とご友人に心からお悔やみを申し上げます。彼は素晴らしい調教師でしたが、それに加えて素晴らしい人物でした。今日は非常に悲しい日です」。

 「彼が人生で成し遂げたことはすべて別次元でした。調教師は誰でも彼のような驚くべき功績を渇望しています。あらゆる を行ったセシル調教師のフランケルに対する見事な育成管理は、彼がどれだけ素晴らしい調教師かを示しました」。

 マイク・マーシャル(Mike Marshall)氏とウィリー・ジャーディン(Willie Jardine)氏はセシル調教師の下で働いてきたが、このうち、最後の調教助手となったマーシャル氏は、「セシル調教師は驚くべき個性を持った人物で、誰もが見落としがちなことを馬の中に見出すことのできた類まれな調教師でした。今まで出会った他の調教師とは全く違いました。おそらく今後生涯で出会う馬の中で最強のフランケルの調教方法を間近に見ることができて私は非常に幸運でした」と述べた。

 またジャーディン氏は次のように付言した。「15年間彼の下で働き、特別な馬数頭に関わることができ大変光栄でした。セシル調教師は天才です」。

 ニューマーケットを中心にセシル調教師の死は悼まれ、ジョン・ゴスデン(John Gosden)調教師、サー・マイケル・スタウト(Sir Michael Stoute)調教師は、セシル調教師の調教技術および病気と直面した際にみせた忍耐力を大きく称えた。

 ゴスデン調教師は次のように語った。「ヘンリーは同世代で最も直感的で卓越した調教師として模範を示しました。彼の記録は多くを語りますが、彼の双子の弟の命を奪った非情な病気と闘った時の勇気と決心こそが、彼が特別な人間であることを示しています。私たちはニューマーケットのヒース調教場で今後毎日、彼のユーモアや仲間としての思いやりを非常に恋しく思うでしょう」。

 セシル調教師の最初の調教場フリーメイソンロッジ(Freemason Lodge)で調教活動を行っているスタウト調教師は、次のように語った。「英国はこれまでにヘンリーほど素晴らしい調教師を生み出したことはないと思います。また、これほど愛された調教師を知りません」。

 アイルランドのリーディングトレーナーであるエイダン・オブライエン(Aidan O’Brien)調教師は、次のように語った。「バリードイル勢(Ballydoyle)を代表して、レディー・ジェーン(Lady Jane)をはじめとするご遺族に心からお悔やみを申し上げます。セシル調教師は並外れた調教師である上に素晴らしい人物でもありました。フランケルの管理は彼の優れた才能の証しでした。彼が忘れられることはないでしょう」。

 ゴドルフィンのレーシングマネージャーであるサイモン・クリスフォード(Simon Crisford)氏は、次のように語った。「競馬界は本日、最も偉大な調教師の1人を失いました。モハメド殿下(Sheikh Mohammed)はこの訃報を聞き大変悲しんでいます。殿下はサー・ヘンリー・セシル調教師に多大なる敬意を持ち、称賛していました。セシル調教師と殿下は、オーソ―シャープ(Oh So Sharp)、オールドビック(Old Vic)、インデアンスキマー(Indian Skimmer)をはじめとする多くの競走馬で素晴らしい勝利を分かち合いました。これらの瞬間は記憶の中で長く生き続けるでしょう」。

 障害競走界からも哀悼の意は表明され、18回リーデイングジョッキーに輝いているトニー・マッコイ(Tony McCoy)騎手は、次のように語った。「訃報を聞き、泣きたい気持ちになりました。彼が管理した優秀な馬を見ながら成長した日々が思い起こされます。全盛期の後に不振な時期を経てフランケルで再び活躍するに至ったことは、彼がいかに優れているかを示しました」。

 「ヴィンセント・オブライエン(Vincent O’Brien)調教師と同じくらい言及に値する人物は競馬界にほとんどいませんが、セシル調教師はその一人です。誰も死は避けられませんが、誰もが人生を思う存分生き抜けるわけではありません。しかしサー・ヘンリー・セシル調教師はそれを成し遂げました」。

 セシル氏の調教師人生は、1969年に25歳の若さで始まった。そしてすぐに頭角を現し、1973年愛1000ギニー(G1)をクルーナフ(Cloonagh)で制し、最初のクラシック勝利を30歳前に達成した。

 その2年後にはボルコンスキー(Bolkonski)が英2000ギニー(G1)を制し、初の英国クラシック競走優勝を果たした。初のリーディングトレーナーとなったのは1976年で、その後9回同タイトルを獲得した。1985年にスリップアンカー(Slip Anchor)で英ダービーを初優勝し、その後同レースを3回優勝した。また、ロイヤルアスコット開催では75勝した。

 1990年半ばに、モハメド殿下をはじめとする数人の馬主がセシル厩舎を離れた。過去10年間の初め頃にセシル厩舎の経営を維持させていたのは、主としてアブドゥラ殿下の支援である。セシル調教師の輝ける晩年の幸福な時期は、2007年にライトシフト(Light Shift)がオークスで優勝し、24頭目の英国クラシック勝馬となった時に始まった。しかし、人生の集大成を告げたのは2010年のフランケル出現である。フランケルは多くの人々から史上最強馬と言われ、同調教師のキャリアにおける最高傑作となった。

 絶頂期だったセシル調教師が慎重に仕上げたフランケルは、2012年10月、アスコット競馬場の大観衆を前に通算での無敗を守り抜き引退した。

 しかし競馬場での仕事面は順調だった一方、健康状態は下降線をたどっていた。2006年から胃がんと闘っていたが、死亡時は治療のために入院していた。

 2008年にセシル調教師は、かつての秘書ジェーン・マキューン(Jane McKeown)氏を3人目の妻として迎えたが、彼女はBHA(英国競馬統轄機構)から一時的な調教師免許を付与されている。セシル厩舎は、明日3場での開催にフランケルの半弟モルフェウス(Morpheus)など数頭を出走登録している。また、来週のロイヤルアスコット開催ではセシル調教師を追悼する計画があるが、アスコット競馬場はレース名の変更は間に合わないとしている。

 同調教師には、最初の妻との間にケイティーとノエル、2番目の妻の間にジェイクの3人の子供がいる。葬儀についてはそのうちに発表されるだろう。


その他追悼の声

レスター・ピゴット(Lester Piggott)元騎手

 私が初めてヘンリーの管理馬で優勝したのはウルヴァーホロー(Wolver Hollow)で制した1969年エクリプスSで、彼が調教師免許を取得した1年目でした。その後も彼の管理馬に乗り、フェアリーフットステップス(Fairy Footsteps)が英1000ギニーを制し、素晴らしいスタートを切った1981年には契約騎手となりました。

 ヘンリーは天性の調教師で、管理しているすべての馬が必要としていることを正確に理解する才能を持っていました。そしていつも馬のためを第一に考えていました。

 ヘンリーは他の偉大な調教師と同様に、とても我慢強く、馬が走る状態になれば自然に馬はその気配を見せると考えていて、出走を急がせることは決してしませんでした。

 ロイヤルアスコット開催で15頭の勝馬を出すなど素晴らしい成功を収めました。騎乗したヘンリーの管理馬のうち最高で私が一番気に入っていたのはアードロス(Ardross)です。1981年と1982年のゴールドカップを連覇し、アキイダ(Akiyda)に頭差で敗れましたがもう少しで凱旋門賞を勝つところでした。アードロスはレコードタイの重賞13勝を果たしました。私は同馬のように一生懸命走る馬を他に知りません。素晴らしい競走馬で、ヘンリーにとって大きな誇りとなる馬でした。

 ヘンリーの記録はどこから見ても彼の素晴らしさを雄弁に物語っています。


スティーヴ・コーセン(Steve Cauthen)元騎手

 ヘンリーは説明しがたい才能の持ち主でした。馬の能力を向上させ、最高の着順で走らせることに、生まれつきのセンスが備わっていました。そして馬を信頼し、機が熟したときに迷わず出走させました。

 素晴らしいホースマンでしたが、それ以上のものを持っていました。私が契約騎手の頃、朝食のテーブルを囲み馬について話していた際、ヘンリーは厩務員、騎手、調教助手などすべてから情報を集めていたことを思い出します。何にでも耳を傾け、すべてに第六感のようなものを働かせていました。バラを指の先でいじくりながらバラが健全であることを確かめていたのと同じように、馬と接していました。馬を肉体的にも精神的にも良い状態にするのに苦労していましたが、馬を満足させて驚くべき結果を引き出しました。

 スリップアンカーで英ダービーを制したときは素晴らしい瞬間で、私とヘンリーのいずれにとっても最初のダービー制覇でした。彼は指示を下して私をがんじがらめにすることはなく、常に自分の意思でレースを運ぶよう心がけていましたが、このレースではスリップアンカーは猫のようにコーナーを回り、坂を下り、その時既に他馬に大きな差を付けていました。

 セシル厩舎のあるウォレンプレイス(Warren Place)に6年いて、素晴らしいチームを組むことができました。上から下まで誰もがよく心配りをしていました。そのことは馬にも伝わり、良い成績につながりました。


ジョー・マーサー(Joe Mercer)元騎手

 ヘンリーとは4年間の素晴らしい時を一緒に過ごしました。彼は愛すべき人で、ガーデニングにも馬にも才能がありました。いつも彼のお伴をするのは楽しく、彼は魅力的な仲間でした。

 テーブルを囲んで朝食を取っている時にコーヒーを飲みながら騎乗を終えたばかりの馬について話したり、ヘンリーや厩務員長のパディー・ラドキン(Paddy Rudkin)氏と朝の調教について話し合ったことを思い出します。何かがうまく行かずにヘンリーが浮かない顔をすることがあっても、その状態が長く続くことは決してありませんでした。彼は非常に付き合いやすい人でした。

 昔のレーシングカレンダーでは、一度に3週間分の出走登録をしました。ヘンリーは、「この馬はこのレースに走らせて勝つだろう、あの馬はあのレースで走らせて勝つだろう」と言っていました。彼は管理馬の状態を非常に良く知っていたので、対戦する馬について心配する必要はありませんでした。

 私たちはルモス(Le Moss)と楽しい思い出があります。その気がないときは全く走らない厄介な馬でした。

 私たちはルモスが長いギャロップ走路を駆け上がって来るのを待っていましたが、10分経っても姿を現しませんでした。結局探しに行ったところ、同馬はそこに立ちつくし動こうとはしませんでした。私は彼に跨りましたが、それでもなお動こうとはしませんでした。

 ヘンリーは厩務員に手伝わせて彼らだけに任せることとし、競馬場側に連れて行くように言いました。そして、そこに行って走る気になれば走らせ、ならなければ走らせないで良いと言いました。そしてすべて丸く収まりました。

 彼は長年にわたって馬を管理する才能に長けていたようで、私は彼がその後何頭もの傑出馬を管理したことに満足しています。


イアン・ボールディング(Ian Balding)元調教師

 サー・ヘンリーは私たちの時代の伝説であり天才です。彼は馬に思いやりがあり、とりわけ牝馬に対してそうで、オークスと1000ギニーを何度も制しています。彼は多くのチャンピオン騎手を迎え、スティーヴ・コーセン騎手とスリップアンカーのコンビは忘れることできない特別なものです。


ピーター・ウォルウィン(Peter Walwyn)元調教師(元リーディングトレーナー)

 とても悲しいです。ヘンリーは優れた調教師であると同時に素晴らしいライバルで非常に勇気のある男でした。


ダーモット・ウェルド(Dermot Weld)調教師

 彼は長きにわたって傑出した調教師で、最近ではフランケルの調教管理は素晴らしいものでした。彼の他界を知り悲しいです。


ポール・ビター(Paul Bittar)氏(BHAのCEO)

 非常に悲しいニュースです。サー・ヘンリーは長きにわたり英国競馬界において偉大な人物かつ偉大な調教師の1人でした。無数の良績馬を送り出しました。彼の死は大変悲しいニュースですが、私たちが今後の人生で見ることのないような素晴らしい競走馬を育ててキャリアを終えることができたのは何と素晴らしいことでしょう。

 英国競馬の観点から見ると、3シーズンにわたってフランケルが出走するのを、またサー・ヘンリーが心からそれを楽しんでいるのを見ることができたことは、私たちにとって大きな幸運でした。

By Tom Kerr

[Racing Post 2013年6月12日「Racing’s best-loved trainer dies at 70」]


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