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TOPページ > 海外競馬情報 > 2012年に競馬殿堂入りする顔ぶれが決定(アメリカ)【その他】
海外競馬情報
2012年09月20日  - No.9 - 2

2012年に競馬殿堂入りする顔ぶれが決定(アメリカ)【その他】


 ジョン・ベラスケス(John Velazquez)騎手、アンソニー・ハミルトン(Anthony Hamilton)騎手、ロジャー・アトフィールド(Roger Attfield)調教師およびロバート・ウィーラー(Robert Wheeler)調教師、そして競走馬のゴーストザッパー(Ghostzapper)およびプラネット(Planet)は8月10日にニューヨーク州サラトガスプリングスで、全米競馬博物館の競馬殿堂入りを果たす。

 8月8日までに、ベラスケス騎手は4,848勝を挙げており、そのうち重賞468勝を含むステークス競走での勝利は764勝に上り、生涯収得賞金額は2億7,566万3,500ドル(約220億5,308万円)である。

 ベラスケス騎手は2004年と2005年に最優秀騎手としてエクリプス賞を受賞しており、これらの年には収得賞金で全米のリーディングジョッキーとなった。同騎手はNYRA(ニューヨーク州競馬委員会)の競馬場で22回リーディングジョッキーとなり、その中にはサラトガ競馬場での5回があり、これは同場のランキングで2位である。またブリーダーズカップレースで計9勝を挙げている。

 また2011年ケンタッキーダービー(G1)をアニマルキングダム(Animal Kingdom)で優勝し、ベルモントS(G1)を2007年にラグズトゥリッチーズ(Rags to Riches)、2012年にユニオンラグズ(Union Rags)で優勝している。その他の主な勝鞍には、シャンペインS(G1)4回、ホイットニーH(G1)とキングズビショップ(G1)それぞれ3回、アラバマS(G1)とパーソナルエンサイン招待S (G1)それぞれ2回、そしてケンタッキーオークス(G1)、トラバースS(G1)およびドバイワールドカップ(G1)の優勝がある。

 1999年にカナダの競馬殿堂入りも果たしたアトフィールド調教師は、8月8日までにステークス競走373勝を含む1,711勝、収得賞金は8,970万8,269ドル(約71億7,666万円)である。

 カナダの最優秀調教師としてソブリン賞を史上最高の8回受賞しているアトフィールド調教師は、カナダの三冠競走制覇を3回達成した[1989年ウィズアプルーヴァル(With Approval)、1990年イズヴェスティア(Izvestia)、1993年ピートスキー(Peteski)]。同調教師は三冠競走の一冠目であるクイーンズプレートSをレコードタイの8回制しており、三冠目であるブリーダーズSを7回制している。

 また2011年にパーフェクトシャール(Perfect Shirl)がBCフィリー&メアターフ(G1)を制し、ブリーダーズカップで初勝利を挙げた。

 1938年から1992年まで調教活動を行っていたウィーラー調教師は、1,336勝し、1982年最優秀古牝馬トラックロバリー(Track Robbery)をはじめとする56頭のステークス勝馬を管理した。1959年〜1960年、西海岸を拠点とし、サンタアニタダービー、ブルーグラスSおよびマリブSを制したトンピオン(Tompion)やいずれも牝馬のバグブラッシュ(Bug Brush)とシルバースプーン(Silver Spoon)が輩出した。バグブラッシュはサンアントニオSで牡馬のヒルズデール(Hillsdale)とテラング(Terrang)を破り、4歳時ステークス競走6勝の世界記録を樹立した。そのほか殿堂入りしているシルバースプーンは2年間でステークス競走10レースを制している。

 2004年に年度代表馬および最優秀古馬に輝いたゴーストザッパーは11戦9勝し、収得賞金は344万6,120ドル(約2億7,569万円)である。ボビー・フランケル(Bobby Frankel)調教師に管理され、チャンピオンシップへの挑戦で2000mを1分59秒02でレースレコードを打ち立てたBCクラシック(G1)の優勝を含む4戦4勝を果たした。ゴーストザッパーはその後2005年の年度代表馬となるセントリアム(Saint Liam)を破ってウッドウォードS(G1)に優勝し、トムフールHやブリーダーズカップH(G3)も制している。

 3歳時ヴォスバーグS(G1)を制したゴーストザッパーは2005年メトロポリタンH(G1)の勝利を最後に現役から引退した。同馬は1300m〜2000mの競走距離でG1勝利を収めている。

 19世紀に活躍したハミルトン騎手と南北戦争前の数年間に活躍した傑出馬プラネットは歴史検証のプロセスを経て、殿堂入りに選出された。

 ハミルトン騎手の最初の注目すべき勝鞍は、1881年フェニックスHをスリゴ(Sligo)で優勝した15歳のときであった。1890年ポトマック(Potomac)に騎乗し、その当時米国競馬史上最高の賞金6万7,675ドル(当時)であった第3回フュチュリティーSを優勝した。この年、ハミルトン騎手は全米最高勝率騎手となり、1891年にはその勝率を33.8%にまで高め、154勝を挙げ、全米リーディング2位の騎手となった。

 1895年にハミルトン騎手はホーンパイプ(Hornpipe)に騎乗しブルックリンH、ラッザローン(Lazzarone)に騎乗してサバーバンHを優勝し、当時国内で最も権威の高いレース(ニューヨーク3大ハンデキャップ競走)のうちの2レースで優勝した。翌年、カウンターテナー(Counter Tenor)でメトロポリタンHを制し、3つ目の大レース制覇を加えた。ハミルトン騎手はこの3つのニューヨークの主要競走を優勝した唯一のアフリカ系アメリカ人騎手となった。

 同騎手の騎乗馬は殿堂入りしたフィレンツェ(Firenze)やサルヴェイター(Salvator)、チャンピオン馬であるランプライター(Lamplighter)やポトマック(Potomac)などトップレベルの馬であった。

 1890年代後半、欧州に拠点を移し、そこでも勝鞍を挙げ続け、そのキャリアはロシアで落馬した1904年に終わりを迎えた。その3年後にフランスで亡くなっている。

 1855年ヴァージニア州のブルフィールドステーブル(Bullfield Stable)で生産されたプラネットは、1858年5月4日フェアフィールド競馬場の総賞金1万750ドル(当時)のマイルレースでデビュー戦を勝利し、生涯収得賞金の記録を打ち立て、その記録は20年間破られなかった。

 プラネットは31戦27勝で、6万9,700ドル(当時)を収得した。なお、敗れた4レースは共に2着であった。多くの専門家は、“グレートレッドフォックス”として知られるプラネットは、南北戦争前のアメリカ競馬史において最も偉大な馬のうち、レキシントン(Lexington)に次ぐ素晴らしい馬だと見ている。

 プラネットはヴァージニア州、ジョージア州、サウスカロナイナ州、アラバマ州およびルイジアナ州においてさまざまな競走距離で優勝している。ニューヨークにも遠征し、1860年9月25日にロングアイランドのファッション競馬場で総賞金2万ドル(当時)のステークス競走を制した。3歳から6歳まで競走生活を送り、ダニエルブーン(Daniel Boone)、ソックス(Socks)およびアーサーメイコン(Arthur Macon)など当時の多くの名馬を負かしている。

 プラネットは、南北戦争が始まり競馬開催が中止される5日前に出走した最後のレースで敗れた。同馬は1861年にブルフィンチ牧場(Bullfinch)で種牡馬となったが、戦争の影響で、種牡馬としてのキャリアを数年間中止させられた。これらの数年間、プラネットと多くのブルフィンチ牧場の馬は北軍から守るように森の中に隠されていた。

 1868年に馬主ドスウェル氏は、ケンタッキー州のウッドバーン牧場(Woodburn Farm)のR・A・アレクサンダー(R.A. Alexander)氏にプラネットを売却し、同馬は1875年に20歳で亡くなるまでウッドバーン牧場で余生を過ごした。

(1ドル=約80円)

[thoroughbredtimes.com 2012年8月9日「Hall of Fame set to induct 2012 class」]


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