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TOPページ > 海外競馬ニュース > 伝説的騎手のマーティン・モロニー氏が91歳で死去(アイルランド)[その他]
海外競馬ニュース
2017年07月27日  - No.29 - 3

伝説的騎手のマーティン・モロニー氏が91歳で死去(アイルランド)[その他]


 歴史上最も成功した平地・障害兼任騎手で、アイルランドのリーディングタイトルを6回獲得したマーティン・モロニー(Martin Molony)氏は、91歳で亡くなった。

 モロニー氏と家族ぐるみの付合いのあったケヴィン・プレンダーガスト(Kevin Prendergast)調教師は7月10日、アイリッシュグランドナショナルを3勝し、1951年にシルバーフェイム(Silver Fame)でチェルトナムゴールドカップを制した同氏に、心からの弔意を表明した。

 モロニー氏は1947年にデザートドライブ(Desert Drive)で愛オークス、1950年にプリンセストルーディ(Princess Trudy)で愛1000ギニー、1951年にシグナルボックス(Signal Box)で愛2000ギニーを制し、平地・障害いずれのビッグレースにおいてもその才能を発揮した。

 プレンダーガスト調教師はこう語った。「"レジェンド"という言葉は頻繁に使われますが、マーティンはアイルランド競馬界においてまさしく伝説的人物でした」。

 「優秀な騎手で、私の家族にとって素晴らしい友人でした。父はマーティンととても仲が良かったので、この訃報に接して大変悲しく思います」。

 「数年前から会っていませんでしたが、マーティンは紳士でしたので、多くの人が寂しく思うでしょう。平地でも障害でも卓越した騎手でした。遺族にお悔やみを申し上げたいと思います」。

 モロニー氏は、1939年10月28日にカラ競馬場でチトー(Chitor)に騎乗して初勝利を挙げた。ジム・ドリーパー(Jim Dreaper)調教師は、自身が生まれる前にすでに全盛期に達していたモロニー氏について、父のトム・ドリーパー調教師が極めて高く評価していた思い出を語った。

 「私はマーティンがちょうどアイルランド競馬界で大活躍していた1951年に生まれたので、彼が実際騎乗しているところを見る機会に恵まれませんでした。しかし、父はいつも、マーティンはその時代の偉大な騎手の1人だったと話していました」。

 「彼は驚くべき才能を持ち、障害のビッグレースで勝利を収めるだけではなく、平地騎手としても大いに活躍しました」。

 「彼が偉業を達成したときの状況を考えてみるべきです。なぜなら、1940年代や1950年代は英国に行くことすら大変でしたので、ましてビッグレースで勝つなんて無理でした」。

 「彼はアイルランド競馬界のレジェンドですので、今日は本当に悲しい日です」。

 マーティンの兄ティム・モロニー氏も優秀なジョッキーであり、この兄弟は10年間のかなりの期間において、アイルランドと英国の競馬シーンで大活躍していた。

 1989年に亡くなったティム・モロニー氏は英国の障害リーディングタイトルを5回獲得した。2014年、地元のリムリック競馬場にこの兄弟の銅像が建立され、2人の偉業は不滅のものとなった。


マーティン・モロニー氏の経歴

フルネーム:マーティン・ジョン・モロニー(Martin John Molony)

生年月日:1925年7月20日(リムリック州キルマロック、ラスモアハウス)

見習時代の所属厩舎:マーティン・ハーティガン(Martin Hartigan)厩舎、ジョージ・ハリス(George Harris)厩舎、ジンジャー・ウェルズリー(Ginger Wellesley)厩舎、シリル・ハーティー(Cyril Harty)厩舎

初勝利:1939年10月28日カラ競馬場のチトー

障害競走初勝利:1941年12月26日レパーズタウン競馬場のシャーリーラッド(Shirley Lad)

チェルトナムゴールドカップ優勝:1951年シルバーフェイム

クラシック優勝:1947年愛オークスのデザートドライブ、1950年愛1000ギニーのプリンセストルーディ、1951年愛2000ギニーのシグナルボックス

アイリッシュグランドナショナル優勝:1944年ナイツクレスト(Knight's Crest)、1946年ゴールデンビュー(Golden View)、1950年ドミニクズバー(Dominick's Bar)

チェルトナムフェスティバルでのその他の勝利:1948年セブンスプリングスチェイス&1950年NHハンデキャップチェイスのシルバーフェイム、1950年グロスタシャーハードルDiv1のツァオコ(Tsaoko)、1950年NHジュベナイルチェイスのイーエスビー(E.S.B)、1950年カスカートチェイスのリバートラウト(River Trout)。

その他ビッグレースの勝利:1947年レパーズタウンチェイスのクロンカーリグ(Cloncarrig)、1949年フェニックスプレートのアバダン(Abadan)、1949年&1950年アイリッシュチェザレウィッチのハットンズグレース(Hatton's Grace)、1951年レパーズタウンチェイスのストームヘッド(Stormhead)、1951年ゴールウェイハードルのワイフライ(Wye Fly)

愛ダービー3着内:1951年シグナルボックス(3着)

アイルランドにおけるリーディングタイトル獲得:平地・障害合わせて6回[1946年(同時受賞)、1947年~1951年]

アイルランドにおける年間自己最多勝利:1950年の116勝

現役最後の勝利:1951年9月18日サーリス競馬場のエクスターナルリレーションズ(External Relations)

最後の騎乗:1951年9月18日サーリス競馬場のバーサリー(Bursary)(落馬)

By Brian Sheerin

[Racing Post 2017年7月11日「Tributes flow after death of Irish legend Molony aged 91」]


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