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TOPページ > 海外競馬ニュース > ロドリゴデトリアーノの死にピゴット氏とチャプル-ハイアム師が弔意を表す(イギリス)[その他]
海外競馬ニュース
2014年09月04日  - No.35 - 3

ロドリゴデトリアーノの死にピゴット氏とチャプル-ハイアム師が弔意を表す(イギリス)[その他]


 レスター・ピゴット(Lester Piggott)氏は8月5日、日本で肺炎のため25歳で死んだG1競走5勝のロドリゴデトリアーノRodrigo De Triano 以下「ロドリゴ」と表記)に心から哀悼の意を表した。

 ロドリゴは1992年の英国アイルランドの2000ギニー(G1)、インターナショナルS(G1)およびチャンピオンS(G1)を優勝し、その年のダービードクターデヴィアス(Dr Devious)とともに、ピーター・チャプル-ハイアム(Peter Chapple-Hyam)氏が調教師として良いスタートを切るのに貢献した。

 ピゴット氏はロドリゴで英2000ギニーを制し、これは同氏にとって30回目で最後の英国クラシック優勝となった。「適した条件とコースでは驚異的な力を発揮していたのに、ロドリゴはその功績を十分に評価してもらっていなかったように思います」とピゴット氏は語った。

 そして、「1992年にロドリゴでG1を4勝したのですが、エプソム競馬場で走ったことが無かったのに馬主のロバート・サングスター(Robert Sangster)氏がダービー挑戦を決心したのは残念なことでした。しかし、シーズン後半にヨーク競馬場でインターナショナルS、アスコット競馬場でチャンピオンSを制したのですから、トップクラスの馬であることは十分に証明されました」と付言した。

 チャプル-ハイアム調教師は、「速い馬場で凄い末脚を見せつけたのですから、偉大な馬と言って良いでしょう。調教しやすい馬で、最初の調教からずっとこちらの要求に応えてくれました。私はただの若造でしたが、競走馬を手中に収めている気持ちになりました。ロドリゴの死はつらいですが、彼は良い生涯を送ったと思います」と語った。

 ロドリゴのオーナーブリーダーはサングスター氏であるが、チャプル-ハイアム調教師はそのサングスター氏のマントンの調教場でキャリアを歩み始めた。ロドリゴは、2歳時にミドルパークS(G1)優勝を含む5戦5勝を果たしたが、クラシック路線に進むにあたり理想的なスタートを切れなかった。

 チャプル-ハイアム調教師は次のように回想した。「ロドリゴはニューベリ競馬場グリーナムS(G3)でぬかるみに足を取られ、初めて敗戦を喫しました。馬場に十分に馴らすことをしなかったので、これは私の責任です。そのような調教をするのに早すぎるということはないのですから」。

 同調教師は決意を曲げすに同馬を英2000ギニーに挑戦させ、このレース5勝目で最後の優勝を果たすことになるピゴット氏が手綱を取り、ロドリゴは猛烈な勢いでゴールを駆け抜けた。

 「ピゴット氏に『最後までロドリゴを馬なりに走らせてください』と指示したのを覚えています。ピゴット氏は『誰も私たちが走って来るのが見えないだろう』と答えました」。

 「実際立っていた場所が悪かったのか、私にはロドリゴが走ってくるのが見えませんでした。しかし、ロドリゴの名が呼ばれているのが聞こえ、その瞬間彼が現れ駆け抜けて行きました」。

 その後、愛2000ギニーを楽勝したが、ダービーで本領を発揮することなく、ロドリゴは同厩馬ドクターデヴィアスの9着に終わった。

 その後同馬はヨーク競馬場のインターナショナルSに進み、そこでドクターデヴィアスを破ることになる。

 現在ニューマーケットを拠点とするチャプル-ハイアム調教師は、次のように語った。「インターナショナルSに向かう前にロドリゴをギャロップ走路で調教しましたが、そこにはドクターデヴィアスをはじめ数頭の優良馬がいました。一緒に調教を施したのはその時だけです」。

 「ピゴット氏は調教でロドリゴが速くて止めることができず、最後はマントンのギャロップ走路から外れてしまい、有刺鉄線の柵に衝突しそうになっていました」。

 2007年ダービー馬オーソライズド(Authorized)も管理したチャプル-ハイアム調教師は、ロドリゴがこれまで手掛けた中で最高の馬かと聞かれ、「友人を比較するようなことは絶対してはなりませんが、ロドリゴのような馬を管理したのは1度きりで、これからもないでしょう」。

 ロドリゴは3歳シーズン終了後に引退し、日本で種牡馬入りし、産駒として優駿牝馬(オークス)勝馬エリモエクセルや重賞を何度も制したスーパーホーネットを送り出した。
 

ロドリゴデトリアーノの成績を示す数字
2年間の競走生活で挙げた勝利 9勝
獲得賞金 76万101ポンド
1992年チャンピオンS優勝後にレーシングポスト紙が与えたレーティング 128
騎乗して勝利を挙げた騎手 3騎手※
G1勝利 5勝
1番人気となった回数(このうち1回は元返しとなった) 7回

※レスター・ピゴット騎手、ウィリー・カーソン(Willie Carson)騎手、ポール・エデリー(Paul Eddery)騎手

By James Burn

[Racing Post 2014年8月6日「Glowing Piggott tribute following death of Rodrigo」]


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