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海外競馬ニュース
2014年07月24日  - No.29 - 2

ラムタラ、22歳で死亡(イギリス)[その他]


 短いが華々しいキャリアで競馬史上最高の中距離馬の1頭とされたラムタラが22歳で死亡した。

 ラムタラはたった4戦しかしなかったが、1995年に英ダービーキングジョージ6世&クイーンエリザベスSおよび凱旋門賞で優勝した。他にこの3勝を達成した馬はミルリーフ(Mill Reef)だけである。

 ラムタラに騎乗するという栄誉を得たのは、ウォルター・スウィンバーン(Walter Swinburn)騎手とフランキー・デットーリ(Frankie Dettori)騎手の2人で、彼らは7月7日に哀悼の意を表した。デットーリ騎手にとって、ラムタラはキングジョージと凱旋門賞の初勝利をもたらした馬なので、いつも特別な記憶を呼び覚ますのだろう。

 どちらも激戦の末の勝利で、ラムタラはアスコット競馬場ではペンタイア(Pentire)を首差で、ロンシャン競馬場ではフリーダムクライ(Freedom Cry)を1/3馬身差で破った。

 デットーリ騎手は次のように語った。「ラムタラはライオンのような心と勝利への強い意志を持っていました。派手ではありませんでしたが、投げ掛けられた課題にはすべて答えました」。

 「イタリアでの子供時代、白黒テレビで見ていた4つのレースは、グランドナショナル、英ダービー、キングジョージおよび凱旋門賞でした。ラムタラは私に3レースのうち2レースの初優勝をもたらしてくれました。彼のことはいつまでも忘れません。偉大な馬数頭を負かし、最高の状態にあったときに引退しました」。

 デットーリ騎手がキングジョージに騎乗するまで、スウィンバーン騎手は他の2戦でラムタラに騎乗していた。このコンビはエプソム競馬場で誰にも止められない終盤の追い上げにより、タムレ(Tamure)に騎乗したデットーリ騎手が英ダービーで初優勝するのを阻止した。それまでにシャーガー(Shergar)やシャーラスタニ(Shahrastani)で英ダービーを制していたスウィンバーン騎手は、このレースを次のように回想した。「ラムタラは坂を上るのに少しもがいていたので、彼の態勢が整うまでなだめてレースから気をそらせ、その後、残りの距離を走りました。決勝線に至るまで、彼はただウォーミングアップをしていたのです」。

 ラムタラは当初、モハメド殿下(Sheikh Mohammed)の甥サイード殿下(Sheikh Saeed)が所有し、アレックス・スコット(Alex Scott)調教師が管理していた。そして2歳時にニューベリ競馬場のリステッド競走(準重賞)であるワシントンシンガーSで優勝したものの、その年の冬にスコット調教師の死去に伴いゴドルフィンに移籍し、サイード・ビン・スルール(Saeed Bin Suroor)調教師が管理を引き継いだ。

 しかし、ラムタラのダービーに向けての調教は順調とは程遠く、シーズン緒戦がいきなりダービーとなった。ところがここで、14-1(15倍)のオッズとは裏腹に、1馬身差、しかもコースレコードで優勝したのである。

 スウィンバーン騎手は次のように付言した。「スコット調教師は、ラムタラがまだ馬場に出るずっと前からその才能と格の高さを認めていました。ラムタラはドバイにいる時に重病を克服しました。私の現役時代から今まで、彼のようにレースに勝つのはもちろん、ダービーを走ることができた馬は知りません。その競走成績がラムタラ自身を物語っており、偉業を成し遂げるために多くを乗り越えた本当に格別の馬でした」。

 1995年末に引退してニューマーケットにあるモハメド殿下のダーラムホールスタッド(Dalham Hall Stud)で種牡馬入りしたラムタラは、日本でも供用されたが、その後2006年にダーラムホールに戻ってきて、余生を過ごした。

By David Baxter

[Racing Post 2014年7月8日「Death of Epsom, King George and Arc hero Lamtarra at 22」]


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