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TOPページ > 海外競馬ニュース > 名スプリンターのデイジュール、26歳で死亡(イギリス)[その他]
海外競馬ニュース
2013年10月17日  - No.42 - 3

名スプリンターのデイジュール、26歳で死亡(イギリス)[その他]


 競馬史上最高のスプリンターの1頭デイジュール(Dayjur)は、ケンタッキー州のシャドウェル牧場(Shadwell Farm)で9月25日に老化による衰弱のため安楽措置がとられ、その翌日縁深い人々が同馬について思い出を語った。

 ハムダン殿下(Sheikh Hamdan)に所有され、名伯楽ディック・ハーン(Dick Hern)氏によって調教された、小柄ではあるが爆発力のあるデイジュールは、爽快なパフォーマンスを見せ1990年競馬シーズンの中心であった。その中には伝説となったナンソープS(G1)の記録的勝利が含まれている。

 ハムダン殿下のレーシングマネージャーであるアンガス・ゴールド(Angus Gold)氏は次のように語った。「私は人生最後の日にヨーク競馬場でのことを思い出すでしょう。デイジュールは時速100万マイルでスタートし、疲れ始めただろうと思った時に新たな脚力で再び加速しました。これまで競馬場で目にした中で最も印象的な事柄の1つです」。

 デイジュールのヨーク競馬場における1000mのコースレコード56秒16は未だ破られておらず、並外れたスピードの永遠の証しとなっている。このナンソープSの優勝は、2005年に本紙が読者に向けて実施した投票“偉大なレース100選”で40位となっている。

 ハーン厩舎所属のウィリー・カーソン(Willie Carson)騎手を主戦騎手としたデイジュールは、1990年にテンプルS(G2)キングズスタンドS(G1)スプリントカップ(G1)およびアベイドロンシャン賞(G1)も優勝した。

 ブリーダーズカップ史上最も有名な対決でデイジュールの勝鞍がストップした。BCスプリントに出走した同馬は、外枠から発走してゆっくりとスタートを切り、ベルモント競馬場のコーナーで先行馬セーフリーケプト(Safely Kept)をとらえた。2頭の競り合いは長引き、最終的にデイジュールが勝ちを確実したように見えたときに馬場にさしたスタンドの影を2度飛び、ライバルに逆転を許してしまった。(※ビデオ:1990 BCスプリント

 ゴールド氏は次のように語った。「外枠から先頭にたてたのは素晴らしかったです。牝馬セーフリーケプトは内枠からの発走でしたが、鼻を奪われました。デイジュールは外枠からの発走だったため、ウィリーは道中ずっと追わなければならず、1ハロン半進んだ地点でマッチレースになりました。影が現れるまでは、デイジュールが出ており、どれだけ優秀な馬であるかを見せつけていました」。

 当時ハーン調教師の助手であったマーカス・トレゴニング(Marcus Tregoning)調教師はこのレースを、デイジュールがお得意の抜群の走法が出来なかったレースとして思い出した。

 「同馬はレース前半から飛ばしていました。騎乗方法に自信を持っていたので、飛び出して先頭に立つことができました。しかしブリーダーズカップ史に残る逆転劇でした」。

 「並外れた能力がある馬で、勝っていたのも同然でした。彼は私が今まで見た中で最高のスプリンターであり、ウィリー・カーソン騎手が騎乗した最速馬です」。

 デイジュールは3歳シーズン終了後に引退したが、種牡馬としての成功は限られたものであった。

By Tom Kerr
 

ウィリー・カールソン元騎手、デイジュールを偲ぶ

 デイジュールは私が騎乗した中で最速の馬で、これまで誰が乗った馬よりも速かったと考えています。とにかく同馬はひたすら走り続けた馬ですから、ゲートを出ると最初から飛ばしたことも彼らしい特質であったと、私たちは時間が経ってから気付きました。

 競走生活の前半では、普通の馬だと思って乗っていましたが、レース中に驚かされ、非常に優れた速い馬であることに納得させられました。

 本日まで決して口にしなかったのですが、運よく名門ハーン厩舎で騎乗することになった時、デイジュール騎乗騎手として私の名前が書かれていたとき、本当にゾクゾクしました。騎乗した馬のなかでも彼は最も驚くべき小さな馬でした。

 私たちは調教場で彼を先頭に走らせることはなく、常に先行馬をおきました。私が先行馬を追い抜こうとすると、楽に1馬身かわしました。私は決して動く必要がありませんでした。このような馬に乗ったことはありませんでした。

 4歳シーズンに現役を続けられなかったことは残念です。彼は大衆にとってブラックキャビア(Black Caviar)フランケル(Frankel)のようなスター馬になり得たでしょう。しかし、馬主であるハムダン殿下が、種牡馬にしたいというプレッシャーに耐えられないと語り、デイジュールは引退することになりました。

 私たちは皆、「デイジュールは来年はもっと良くなる、もっと強くなる」と言い続けましたが、私たちの意見は受け入れられませんでした。

[Racing Post 2013年9月27日「Superstar sprinter Dayjur dies at 26」]


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