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2013年06月27日  - No.26 - 2

ラモン・ドミンゲス騎手、怪我のために引退(アメリカ)[その他]


 エクリプス賞を3回受賞したラモン・ドミンゲス(Ramon Dominguez)騎手(36歳)
は、1月18日にアケダクト競馬場での落馬事故で負った深刻な怪我のため引退することになった。

 ドミンゲス騎手は、この日の第7レースで騎乗馬コンヴォケーション(Convocation)が躓き落馬転倒しダートコース内側に放り投げられた。その際頭蓋骨にひびが入ったことが判りニューヨーク・プレスビテリアン病院/ワイルコーネルメディカルセンター(New York-Presbyterian Hospital/Weil Cornell Medical Center)の集中治療室で入院生活を送っていた。その後ニューヨーク州ホワイトプレインズのバークリハビリテーション病院(Burke Rehabilitation Hospital)に移り、(入院)脳リハビリ療法を受けていた。

 ドミンゲス騎手は当初復帰を果たすと考えられていたが、医師から騎手生活を終えるよう助言されていた。

 ドミンゲス騎手はプレスリリースにおいて次のように語った。「競走馬に騎乗することは私にとって常に情熱の対象であり、また天職でした。13歳の時にヴェネズエラで初めて競馬を見て、将来騎手になることを確信しました。騎手生活は期待以上の幸運と成功をもたらしました」。

 「それゆえ、私にとって深刻な怪我のために騎手生活の終了を発表するのは非常につらいです。再び騎乗できるようになることを望みかつ期待していましたが、診断結果と担当医の助言により、もはや騎手としての道を進むことができないと断定しました」。

 妻シャロンとの間に2人の幼い息子がいるドミンゲス騎手は、生涯収得賞金額1億9,161万5,698ドル(約191億6,157万円)で引退する。5,000勝にはあとわずか15勝で、勝率は23%、3着内率は56%であった。リトルマイク(Little Mike 2012年BCターフ)、ハンセン(Hansen 2011年BCジュヴェナイル)、ベタートークナウ(Better Talk Now 2004年BCターフ)でブリーダーズカップを3勝している。

 同騎手は2011年の年度代表馬ハヴルドグレイス(Havre De Grace)とチャンピオン馬ジオポンティ(Gio Ponti)の主戦騎手であり、他の主な騎乗馬には、2006年ケンタッキーダービー(G1)2着馬ブルーグラスキャット(Bluegrass Cat)、2004年プリークネスS(G1)2着馬スクラッピーティー(Scrappy T)そして2010年ベルモントS(G1)3着馬ファーストデュード(First Dude)がいる。

 NTRA(全米サラブレッド競馬協会)の理事長兼CEOのアレックス・ウォルドロップ(Alex Waldrop)氏は、「ラモン・ドミンゲス騎手は、サラブレッド競馬と職業人生において消えることのない功績を残しました。多くの勝利と偉業により全米リーディング騎手としてエクリプス賞を3年連続(2010年〜2012年)で獲得しました。何よりも同僚騎手から敬意を集めていることから分かるように、スポーツマンシップとプロ意識の模範となりました。そして競馬殿堂入りが確実視されています」と語った。

 ドミンゲス騎手は2012年に最高の年を迎え、2,560万ドル(約25億6000万円)を獲得し、収得賞金で北米リーディング騎手となり、2003年に年間2,330万ドル(約23億3,000万円)を収得して殿堂入りしたジェリー・ベイリー(Jerry Bailey)騎手が保持していた北米の年間騎手獲得賞金記録を破った。

 また、4年連続でNYRA(ニューヨーク競馬協会)管轄の競馬場でトップに立ち、特に2012年は322勝を挙げた。そして、その素晴らしい実績を称賛され同僚からの推薦もあり、サンタアニタパーク競馬場からジョージウルフ賞を与えられた。

 ニューヨークホースメン協会(New York Thoroughbred Horsemen's Association)のリック・ヴァイオレット(Rick Violette Jr.)理事長は、「今日ラモンが引退する発表を聞いてショックでした。ラモンは、騎乗能力を通じてだけでなく競馬界の最も優れた人間の1人として、常にニューヨークの競馬が提供すべき最高のものを見せてきました」と語った。

 そして、「彼が居なくなることの喪失感はどれだけ誇張してもし過ぎることはありませんが、私たちは彼が将来幸運に恵まれることを祈っており、将来引き続き競馬に関わってくれることを心から望んでいます。競馬界は常にラモンのような模範的な人を必要としています」と付言した。

 ドミンゲス騎手はヴェネズエラのカラカス出身で1995年に米国に移り、中部大西洋岸州の競馬場で中心的騎手としての評判を築いた。そしてローレルパーク、ピムリコおよびデラウェアパーク競馬場で多くのタイトルを獲得し、その後2008年からニューヨークを拠点とした。NYRA管轄の競馬場において20開催においてタイトルを獲得し、2009年〜2012年にかけリーディングトップに君臨した。エージェントはスティーヴ・ラッシング(Steve Rushing)氏で騎乗スケジュールを管理していた。
 

 NYRAの副理事長兼競馬担当理事であるP・J・カンポ(P.J. Campo)氏は、「NYRAの誰もが、ラモン・ドミンゲス騎手が引退を余儀なくされたことに悲しんでいます。彼は多くのタイトルを獲得し、多くのレースを優勝し、4年連続でニューヨーク州のリーディング騎手となりました」と語った。

 そして、「ラモンの偉業は、全て述べることはできませんが、競馬場の内外で模範となりました。同僚騎手からも広く尊敬され、ファンから広く愛され、ラモンは将来の騎手全員の基準として役立つ、非常に大きな受けるに値する評判を確立しました。NYRAの騎乗拠点に彼が居ることはまったく光栄なことであり、私たちは彼と家族が新生活において最高の幸運を手にすることを望んでいます」と付言した。

 ドミンゲス騎手は次のように語った。「落馬事故以来数ヵ月にわたって、家族、ファンそして同僚騎手からの多大なサポートを受けたことに感謝します。私の将来について様々な憶測が出ることを終わらせるためにこの声明を出すことにしましたが、公で話す準備はまだできていません。いずれは人前に出ることになるでしょうが、それまでの間、回復に努めていますので、プライバシーを尊重するようお願いします」。

By Claire Novak
(1ドル=約100円)

(関連記事)海外競馬ニュース 2013年No.6「米国リーディングのドミンゲス騎手、頭蓋骨にひび(アメリカ)

[bloodhorse.com 2013年6月13日「Jockey Ramon Dominguez Retires Due to Injury」]


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