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2012年03月29日  - No.14 - 4

パナマの騎手養成学校(パナマ)[その他]


 2011年末にパナマのラフィット・ピンカイJr.騎手養成学校(Laffit Pincay Jr. Jockey Training Academy)で卒業式が行われた時、ケイバー・コア(Keiber Coa)君は向上心に燃える乗り手の1人として評価されていた。このプログラムへの参加は、ケイバー君の父親のエイバー・コア(Eibar Coa)氏が米国で騎乗キャリアを開始する前に息子に望んだことであった。

 2011年2月に落馬事故に遭い頸椎損傷をはじめとする怪我を負うまでに、フロリダのガルフストリームパーク競馬場で4,000勝以上を果たしていたエイバー・コア氏は、「ケイバーにこのプログラムを受けさせることを考えた理由はいくつかあります」と語った。コア氏は米国に移住する前、生まれ故郷のベネズエラで同じ様な学校で授業を受けていた。

 12月2日に息子の卒業式に出席するためにパナマに旅立ったコア氏は、「ケイバーは私のもとで育ち、何の不自由もありませんでした。しかしここでは多くのことを必要としている若者がいます。ケイバーが、学校で無一文で成功することを渇望する若者たちを目の当たりにし、彼らがいかに一生懸命に取り組んでいるかをよく理解することを望んでいます。そしてもう少しスペイン語を勉強してほしいです」と語った。

 もう1つの理由は、おそらく他では得ることのできない技術を身につけるチャンスを19歳のケイバーに与えることである。パナマでは朝の調教において多くの馬は鞍をつけず、騎手は腹帯で固定された鞍下ゼッケンの上に座る。

 コア氏は次のように説明した。「事故は起こりうるので、鞍と革紐なしで騎乗する方法を学ぶのは良いことです。ときどき、発馬機を出た馬がつまずき足が鐙から外れてしまうことがあります。鐙を履き直す間に馬上にとどまっている方法を学ぶ必要があります。どうして良いか分からなければ、おそらく落馬するか馬を止めてしまうことになります」。

 馬具に頼りきらずにバランスを保つ能力を身に着けるのに加えて、コア氏によれば、パナマの騎手はアメリカの騎手に比べあまり馴致されていない馬に接している。

 コア氏は次のように語った。「馬の世話をする人は1日5ドル(約400円)しか支払われず、この安い給料のために馬が多くを学ぶかどうかなど気に掛けません。多くの馬は正しく調教されていないので、パドックから発馬機まで行く間の扱いが難しいです。騎手たちはこのような馬に乗って、発馬機まで導き、発走させなければなりません」。

 パナマ騎手養成学校はこの数十年続いてきており、中米パナマで唯一パリミューチュエル賭事を提供する、パナマシティ近郊のレモン大統領競馬場を本拠地としている。スペイン拠点のゲーム会社コデーレ社(Codere)の一部門である財団法人が、この競馬場を運営し同校に多くの資金提供を行っている。パナマの文部省に教育機関として認められた同校は、国内のさまざまな事業体からも資金援助を受けている。

 レモン大統領競馬場のロゴには、“世界最高のジョッキーたちの揺り籠(Cuna de Los Mejores Jinetes del Mundo)”という文言が記されている。数人の殿堂入りジョッキーと多くの才能あるジョッキーが輩出したことが、この思い切った表現の十分な裏付けとなっている。

 学校名にその名前が付けられているピンカイ元騎手は、最も有名なジョッキーである。その他に良く知られているパナマに縁のあるジョッキーには、ブラウリオ・バエザ(Braulio Baeza)騎手、ハシント・バスケス(Jacinto Vasquez)騎手、ホルヘ・ベラスケス(Jorge Velasquez)騎手およびマヌエル・イカサ(Manuel Ycaza)騎手がいる。レネ・ダグラス(Rene Douglas)騎手、コルネリオ・ベラスケス(Cornelio Velasquez)騎手、マーティン・ペドローサ(Martin Pedroza)騎手およびアレックス・ソリス(Alex Solis)騎手もパナマ出身で、エディー・カストロ(Eddie Castro)騎手、フェルナンド・ハラ(Fernando Jara)騎手、ホセ・レスカノ(Jose Lezcano)騎手、ガブリエル・サエス(Gabriel Saez)騎手およびエルビス・トルヒーヨ(Elvis Trujillo)騎手もそうである。

 ケイバー君が卒業したクラスの生徒数はプログラムが始まったころには30人いたが、最終的には15人となった。入学資格は15歳以上で体重が110ポンド(約50 kg)以下であることで、騎乗経験や馬と接した経験は問われない。

 グラシエラ・デ・ロマン(Graciela de Roman)校長は、同校の80%の生徒は貧しい家庭の出身であると見ている。法に触れたことのある生徒もいる。ケイバー君のクラスはすべて男子生徒からなるが、過去に女子の卒業生もいた。

 コア氏は次のように語った。「15歳では遅すぎることもあります。私も貧しい地域で育ちましたので、彼らと同じような状況でした。騎手になることなどが、私たちにとって有名になるための唯一のチャンスです。もし私が騎手になっていなければ、命を失っていたかもしれません。なぜならば、それらの貧しい地域で生活していれば自分の身は自分で守らなければならないからです。命が長く続き生き延びられるのは自分か他人かどちらかです。ある時点でそれが自分の命になるのです」。

 ケイバー君の毎日の授業時間は、午前5時30分から午後12時30分までで、一定の時間をレモン大統領競馬場の厩舎地区で働いて過ごす。馬場で馬に騎乗するのに加え、馬に餌をやり、ブラッシングし、水浴びをさせる。騎乗経験のない生徒たちは馬の背に座ることから始め、馬に乗って厩舎内馬道を歩き回る。学校のインストラクターは彼らの進歩を見守り点数をつける。

 ケイバー君は、「鞍なしで騎乗することは僕にとって大変なことです。故郷にいるときは父がその方法を教えてくれていましたが、それを身に着けたのはこの場所です。練習を積まなければならず、馬場で鞍なしで走れるようになるまで1ヵ月から1ヵ月半かかりました」と語った。

 プログラムの終盤に、生徒たちは4/5マイル(約1,280 m)の模擬レースに出る。彼らは卒業後、レモン大統領競馬場でプログラム修了者のための3つの特別レースで競馬デビューを果たす。

 コア氏は、「レース出走前に彼らに話しかけましたが、私が言おうとしたのは、勝つことにではなくこれまでの経験に集中するようにということです。重要なことは、その時に起きたことではなく将来起ころうとしていることです」と語った。

 騎手養成学校は一部の授業において、英語、パナマ史および数学も教えている。

 同校に入る前に高校を卒業したケイバー君は、「これらは僕にとっては簡単な科目です。数学は足し算や割り算をし、簡単な計算をする基本的なものです」と語った。

 しかしコア氏によれば、貧しさと限られたチャンスしかない生活から脱出しようとしている十代の若者にとって、これらのクラスで得られる基礎知識は、騎手としてそのキャリアを始めるときには計り知れないほど貴重である。

 コア氏は次のように語った。「これらの学科課程がなければ、騎手の多くはほとんど教育を受けるチャンスはないでしょう。そうなれば米国に行ったときに彼らは重大な問題を抱えることになります。騎乗は上手いですがお金のやりくりが分からないのです。彼らは、“5000ドル(約40万円)の小切手をもらったぞ”と思うと外出し、全額使ってしまいます。しかし騎手は収入の25%〜30%をエージェント、ジョッキールームの使用料として5%を支払わなければなりません。数学はこれらの割合の算出方法を教えます」。

「そして何か問題が生じて騎手を続けられなくなった場合、ここで受けた教育が他の方法で生計を立てる道具となります。彼らはここで学び、基礎知識を得ることができます。毎日の授業で、何が正しくて何が間違っているかを誰かが教えてくれます」。

 ロマン校長とスタッフにとって、入学してから2年間のプログラムに生徒たちを繋ぎとめておくことが最大の課題である。体重が大幅に増加する者も、馬を怖いと感じたり騎乗中の馬が急に速度を上げた時に怯えたりする者もいる。またプログラムを楽しめず、ホームシックにかかってしまう者もいる。

 生徒が馬を走らせる仕事を得るのに必要な技術を身に着けたときには、学校を去る誘惑は高まる。学べば学ぶほど、学校の助けを借りずジョッキーとしてのキャリアを始めることに惹かれる。エージェントは常に次の新しいスター騎手を探しており、学校は、キャリアを重ねることを渇望する将来有望な騎手の魅力的な宝庫である。

 ロマン校長は次のように語った。「ここにいる教員は本当に生徒を大切にし、悪と貧困から守ろうとするので、他の学校の教員よりも一生懸命に働きます。生徒たちはさかんに退学するようにそそのかされます。彼らに会った人々は、“どうして英語や数学を勉強しないといけないのだい?君が学ばなければいけないのは馬の乗り方で、それが全てなのに”と尋ねます。教員たちはこういった振る舞いと戦わなければなりません」。

 ケイバー君のクラスメートの1人である17歳のホセ・A・ロドリゲス(Jose A. Rodriguez)君は、パナマの犯罪と貧困が蔓延し失業率の高い港町コロンで育った。彼の3人の叔父はギャングが関連する事件で撃ち殺されている。

「父が競馬ファンでいつも息子を騎手にしたがっていました。そして僕はそうするように勧められてそれに従いました」。

 騎手養成学校で授業を受けながら、ロドリゲス君はレモン大統領競馬場の厩舎地区に暮らしている。溶接工である父親は週に1回彼を訪ね、小遣いを与えるが、ロドリゲス君は、「快適に過ごすには十分な金額ではありません。できるだけ長持ちするように少しずつ使っています。沢山のことを我慢しなければなりません」と述べた。

 ロドリゲス君はロマン校長が“法に触れる”と表現した問題を抱えている。当局は彼に在学し授業にも出ていることを示すため、定期的にレポートを提出することを要求している。

 痩せたロドリゲス君は、「置かれた状況を克服するために精神面でも一生懸命勉強しなければなりません」と語った。

 馬への愛情ではなく、明るい未来を築き家族を助けることがロドリゲス君の第一の動機になっている。

「僕の生活はがらりと変わりました。以前は何の選択肢もありませんでしたが、今では目標があります」。

 レモン大統領競馬場でのデビュー戦で騎乗馬がゴールすることができなかったロドリゲス君は、出来るだけ早くアメリカに行くことを計画しており、クラスメートもまた同じように考えている。しかし、申請者がアメリカでの騎乗キャリアを追求し騎手として生計を立てられることを示すためには、定められた移住要件として、25勝することが求められる。

 ロドリゲス君は、「僕は今やっていることに集中しています。自分自身を向上させようとしています」と語った。

 ケイバー君はレモン大統領競馬場のデビュー戦で3着となった。そして12月17日にガルフストリームパーク競馬場で米国デビューを果たし、最近では同競馬場で2歳限定の1200mの未勝利クレーミング競走に出走した。

 ケイバー君はその後、騎乗拠点をカリフォルニア州サンタアニタ競馬場に移し、2月9日までに米国で11戦し、2着2回、3着2回の実績である。

By Deirdre B. Biles
(1ドル=約80円)

[The Blood-Horse 2012年2月19日「Getting Schooled」]


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